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Channel: ハナママゴンの雑記帳
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母らしい逝き方

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7月9日(土)の朝スマホをONにしたら、

疎遠気味の兄から簡潔なメールが入っていました。

母(87歳)が前日、病院で亡くなったという知らせでした。

 

母が亡くなった時間というのが、これまた絶妙で。

7月8日(金)午前11時頃・・・

安倍元首相が撃たれて亡くなる30分ほど前だったことになります。

認知症に罹る前、母はよく言っていました。

「私は友達もいないから、お葬式なんて必要ないからね。家族葬でひっそり送ってくれればいいから。」

目立たながりな母でしたが、安倍元首相逝去の衝撃に紛れてこの世を去るとは・・・!

(母らしいこと・・・)と、心の中で思わず微笑がこぼれました。

 

   

 

4年前の2018年3月17日(土)が、母に会えた最後の日になりました。

4年前は私だけで日本に行ったのですが、行っておいて本当に良かったです。

母は4年前でさえ既に83歳だったし、認知症が進行して私のこともわからなくなっていたので、

二度と会えないかもしれないことは覚悟していました。

認知症に罹る前に母自身が、

「もし将来ボケて家族のこともわからなくなったら、それ以上は生きていたくない」

と言っていたので、

母の死はもちろん悲しいですが、正直それよりも(やっと逝けたね)という安堵の方が大きいです。

 

父が亡くなってから、24年。

当時2歳だったムスメも、今や26歳です。

コロナが収束したらムスメと日本に行く予定でしたが、たとえ日本に行けても、もう母には会えなくなりました。

残念と思う一方で、私のことを認識できない母にもう会わずに済むことに、安堵もしています。

自己中このうえない感情で、ほんとうに申し訳ないのですが。

私が将来母と同じ状態になったら、やはり長生きはしたくないですね。

できるだけ早くこの世を去って、家族には元気だった頃の自分だけを、覚えていて欲しいです。

 

父が亡くなる前年(1997年)の集合写真

 

兄のメールによると、母の遺体は既に母が入所していた特養に戻って安置されており、

14日(昨日)の午後に簡単なお別れ会のあと、

ほど近い火葬場で荼毘に付されるとのことでした。

すべて兄に丸投げで申し訳ないですが、私は駆けつけませんでした。

 

「人生には、自分でどうにかできることと、自分ではどうにもできないことがある」

と、以前どこかで読みました。

自分が不幸あるいは不満足な状態にあるとき、自分でできることがあるなら、それをしろ。

でも自分でできることがないなら、その状態に感情を振り回させずに折り合いをつけて先に進め。

そんな意味だと解釈しました。

そして親の死は明らかに、自分ではどうにもできないこと。

たとえ私が駆けつけたとしても、兄の足手まといになっただけだったでしょう。

 

お母さん、長いことお疲れさまでした、そして、ありがとう。

お父さんに天国で会っても、「なぜもっと早く迎えに来てくれなかったの!?」なんて文句を言わないようにね。

これからは二人一緒に、空から私たちを見守ってくださいね。

 


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