前回記事で、義母がオットーに
「あなたはお父さんにも優しくなかった」
と言ったことを書き、久々にクソ野郎だった義父(3年前に他界)を思い出してしまいました。
ドイツ人の義父(1926年4月-2019年12月)のクソ野郎ぶりについては、過去に何度か書きましたが、
ここでリストアップしておきましょう。私も久々に読み返したくなったし
7年前には義父の一存で引越しすることになり、高齢の二人(当時90歳と88歳)には、
もちろんオットーのサポートが必要でした。
老衰で身体の自由がきかなくなると、義父はその憤懣を義母だけでは足りず、
仕事を返上してサポートしているオットーにまでぶつけるようになり・・・
義父が他界するまでの3ヶ月ほどは、惨澹たる状況でした。
私はオットーがメンタルをやられてしまうのでは?と心配でしたから、
オットーが匙を投げて義父母のサポートから手を引くことにしたときは、
一安心したものです。
義父が他界して、早や3年。
2年目くらいまでは義母は、折に触れて「本当に良い夫だったわ・・・」と
義父を思い返しては愛おしげにつぶやくので、
そのたび私は(ケッ!)と腹の中でクサったものです。
でもその後、義母の記憶力は低下していき、去年の義父の誕生日には初めて、
「○日は何か特別な日だったような気がするんだけど、思い出せないのよ。
何だったかしらね?」と。
義父の思い出話もほとんどしなくなったので、せいせいしました。
オットー兄妹や私の目から見れば、あんなクソ野郎と添い遂げた義母は、
人生を無駄にしてしまいました。
せめて子供たちが自立し家を離れた時点で離婚していれば、
その後の30年余りを平穏に、自由気ままに暮らせたのにと。
ひょっとしたら、ごく普通の気立てのいい男性と再婚し、
第二の人生を楽しめていたのにと。
でも人生は一度きり!にも書きましたが、義母にとっては義父はあくまでも良い夫・良い父親で、
彼女の一生は幸せだったことは決して、何が何でも、揺るがないのです。
これって、すごくないですか!?
かなり前に日本で『勝ち組・負け組』という言葉が流行ったようですね。
私はずっと、義母は負け組以外の何ものでもないと思ってきました。
でも最近、考えを改めました。事実はどうあれ
自分は良い夫に恵まれたうえ添い遂げられて、本当に幸せだった
と固く信じていられる義母は、最強の勝ち組だと言えるからです。
義母に限ったことではありません。
傍から見れば不幸そのものの人生でも、それが自分で選んだ納得できる生き方なら、
本人にとってはそれが幸せということは十分有り得ます。
『幸せは人それぞれが自分で決めること』というのは本当だなと、つくづく思うのでした。