先週、顧客アランさんの運転手として興味深い場所に行ったので、今日はそのレポートをば。
田舎の集落の外れ、周囲にほとんど何もない閑静なロケーションに、突然見えてきた立派な建物。
スタンブルック・アビー・ホテルです。
ここ、昔は正真正銘の修道院だったそうです。英語版ウィキをざっとGoogle翻訳してみると:
スタンブルック修道院は、もともとベネディクト会修道女のための瞑想的な家として建てられた修道院です。 このコミュニティは、1625年にイギリスの
ベネディクト会の支援を受けて、当時ハプスブルグ領ネーデルランドの一部であったフランダースのカンブレで設立されました。
しかし修道女たちはフランス革命中に修道院を奪われ投獄されてしまいます。生き残った修道女はイングランドに逃げ、1838年にウスターシャー州
スタンブルックに定住し、そこに新しい修道院が建設されました。ベネディクト会衆は、2009年にノース・ヨーク・ムーアズ国立公園の
ワスに移転しました。ウスターシャーの施設は現在、イベント会場として運営されています。
と、いうことで、私がアランさんのお供で行ったここが、“ウスターシャーの施設”。2009年5月に修道女さんたちがノース・ヨークシャーの新しい施設に
引越してしまったあと空っぽになり、2010年8月に開発会社に売却され、改修ののちホテル兼イベント(結婚披露宴とか)会場としてデビューしたようです。
(ホテルのウェブサイトはこちら、Stanbrook Abbey の英語版ウィキはこちら。)
ホテル正面に2015と入っていたから、2015年にオープンしたのかもですね。
アビーの方にと歩いてみました。地面下の通路を抜けるとアビーに到達できました。
外壁に首から上だけの石像が並ぶ様って、なんかちょっと不気味・・・私にはよくわからないセンスです。夜見たら怖そう。
アビー内部は、思ったより狭かったです。イベント用のキーボードとかDJ席みたいなのが、私の背後に設置されていました。
アビーとホテルは、内部で繋がっていました。
アビーへと通じる廊下と、その窓から見えたアビーの庭。
ホテルに通じる廊下の窓からは、広い中庭が見えました。かなり規模の大きい修道院だったようです。今はこれ全部、ホテルの客室なのかな?
ホテルはとてもモダンなデザイン。アランさんは、属する合唱クラスの忘年会(コーヒーとケーキとおしゃべり)に参加するため、ここに来る必要があったのです。
でもモダンなのは正面入口と入って右手にあるバー兼カフェのみ。建物の大部分は古めかしい重厚さが残っていて面白かったです。
あ、歴史的建造物に指定されているから、好き勝手に改修できなかったというのもあるでしょうね。
年代ものっぽい黒電話も、飾りとして置かれていました。
女性用トイレのサインは、Nun's Powder Room。扉を開けたけどトイレに見えなかったので、一瞬(トイレじゃないじゃん!)と思いました。
でも奥まで入ってみて、前言撤回。奥右のアーチの向こうに、トイレが並んでいました。
この『トイレ控え室』、我家の居間より立派だわぁ。
トイレまでどっしりと重厚な感じでした。
鏡もタップも蛇口も、古めかしいデザインで。
アランさんの忘年会は、2時間。ホテルの周囲を歩きまわって写真を撮ったあとはヒマだったので、
正面入口から入って右手にあるバー兼カフェ “George's Bar” に時間つぶしに入りました。
ココアが£3.50でした。(・・・田舎にしては高いな!)
ジョージ・クルーニーの写真が飾られていたので、(おっ、まさかクルーニーもここに来たことあった?)と思いましたが、一人おいてジョージ・ベストの
写真もあったので、(そうか、写真の人、皆ジョージなんだ!)と気づくことができました。
一番若いジョージは、女王陛下の曾孫のジョージくん(下左)です。帰り際、座っていた位置からは見えなかった写真を新たに発見。
ジョージ・(W?)・ブッシュとジョージ・マイケルはすぐわかったけど、一番右端は・・・、ひょっとして、ジョージ・ハリスン?
誰だか皆目わからない残る4人は、帰宅したらオットーに訊いてみることにします。
ウィスキー・リストのトップがサントリーの拍手白州だったのが日本人としてウレシイ。
まだ午前中だったので、バーはオープンしていませんでした。カフェ部分は、下右画像右手の仕切りの向こう側です。
約180年前に建設されたらしい修道院。こんな田舎にこんな立派な建物があったなんて、アランさんの住み込みをしなかったら、一生知らず終いだったことでしょう。
ホテル前の広大な囲いの中には、あまり見かけないタイプの羊がいました(下左)。
近くに見えるのは、ほんの一握りほどの家々のみ。
フランス革命中だった1793年、22人の修道女がそれまで住んでいた家から追い出され、18か月間投獄され、劣悪な環境のためそのうち4人が
亡くなったそうです。生き残ったものの貧窮していた修道女たちは、命からがらイングランドに戻り、最終的に1838年にここに落ち着いたとのこと。
過酷な運命に翻弄された修道女さんたちが、この土地の静かで穏やかな環境に、ようやく癒されたであろうことを祈ります。
* * *
明日、ようやく、家に帰れます!
・・・・・ 高速道路が混みませんように ・・・・・