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Channel: ハナママゴンの雑記帳
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司法制度に、ふたたび幻滅・・・

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散歩でよく通る道で、こぉんなすごい車を見ました。マクラーレンのバッジが付いてた!

 

レーシング・カーですよねこれ!?こんな田舎町にいったい何の用が??

 

*       *       *

 

《 DNAが解決した世界最初の殺人事件からのつづき 》

 

15歳の少女2人を強姦のうえ殺害したコリン・ピッチフォーク。

図らずも捜査の撹乱を手伝わされた形となった同僚の口が軽くて幸いでした。

(同僚は、身代わりになる礼金として200ポンドを約束されていたそうです。)

同僚の話を耳にしたパブの女性客が、情報を軽んじることなく警察に通報してくれたのも幸いでした。

このふたつの出来事がなかったら、ピッチフォークはまんまと法の裁きから逃れ、事件は迷宮入りになっていたかもしれません。

 

1988年1月23日、ピッチフォークは二少女の強姦殺害罪で有罪となり、

『最低禁固期間30年の終身刑』を言い渡されました。

そうなんです!

英国では終身刑は必ずしも「死ぬまで塀の中」を意味しません。

最低禁固期間を過ぎたら仮釈放を申請でき、仮釈放が認められれば、社会に戻れるのです。

英国は1969年に死刑を廃止しましたから、仮釈放の可能性のない『本当の意味での終身刑』が最も厳しい刑罰で、

これは Whole Life Order といいます。残念ながら Whole Life Order が言い渡されることは少なく、

コリン・ピッチフォークにも30年の最低禁固期間が付きました。

 

  

 

服役中、ピッチフォークは「勉学に励み、また楽譜を点字にするエキスパートになった」ことが評価され、

2009年に最低禁固期間が2年短縮されて28年になりました。

その28年間が終わった2016年春、ピッチフォークは仮釈放を申請しましたが、却下されました。

被害者リンダさんとドーンさんの遺族も、仮釈放に断固反対しました。

しかし当時のマイケル・ゴヴ法務相が、却下のすぐあとで更生保護委員会の勧告を受け入れた結果、

2017年の始めごろ、ピッチフォークは所在地を伏せられたオープン・プリズンに移動されました。

 

2017年11月、ブリストル市内を歩くピッチフォークが目撃されたため、彼はグロスターシャー州にあるオープン・プリズン

レイヒル刑務所に収監されていて、仮釈放に向けての準備が進められていると思われました。

 

 

ピッチフォークはサンドイッチを買ってベンチで食べ、求職情報センターと3つの銀行を訪れたそうです。

 

2018年5月3日、ピッチフォークの仮釈放申請は、ふたたび却下されました。

 

が、先月7日、驚きのニュースが入りました。

ピッチフォークにとうとう、『条件付き仮釈放』が認められたのです。

35に及ぶ条件は、電子タグの常時着用、定期的にポリグラフ(嘘発見器)・テストを受けること、決められた区域への接近禁止、

未成年者との接触禁止、被害者遺族への接近禁止、門限の厳守、など。

 

当然のことながら、被害者遺族はこの決定に猛烈に反発。

ロバート・バックランド司法相は、2019年に導入された『再考メカニズム』に沿って、

更生保護委員会に再考を促しました。

 

が。

昨日(7月13日)、更生保護委員会が仮釈放を確定したとのニュースが入りました。

現在61歳のピッチフォークは、彼自身の安全を守るために新たな身元と経歴を与えられ、社会に戻され、

英国内のどこかで生活を始めることになります。

 

2017年=収監されてから29年後のピッチフォーク。面影、残ってますね。

     

どこで誰のご近所さんになるか、わかったものじゃありません。

この顔にご用心!!

 

仮釈放される “ウスターの怪物” にも書きましたが、勧善懲悪を愛し死刑制度を支持する私は、

英国の司法制度に本当に失望しています。

2人の15歳の少女を強姦し殺害した男ですよ!死刑にならないだけ儲けものじゃないですか!

完全な終身刑以外、有り得ないと思うんですが!

今の時代の61歳はまだまだ元気です。

更生保護委員会の人たちは、ピッチフォークが自分の子や孫たちのご近所さんになってもいいんですか!?

もしピッチフォークが再犯を犯したら、いったい誰が責任を取ってくれるんですか!?

 

被害者のリンダさんとドーンさんは、私より後に生まれていました。生きていれば、今50代前半。

子供をもち、もしかしたらもうお祖母ちゃんになっていたかもしれません。

なのに、何の落ち度もなかった二人は、一人の自己中男の性欲と暴力の犠牲になり、命を絶たれてしまった。

ピッチフォークは、取り返しのつかないことをしたんです!

その罪を償うための服役だろうに、「更生努力の甲斐あって生まれ変わった」し、

「もはや公衆の脅威となることはない」から、仮釈放してしまうって・・・

少女を2人も殺した男が自由の身になれるなら、それは『殺し得・殺され損』じゃありませんか!

善良な市民にできることは、ただただひたすら被害者にならないよう気をつけることだけ?

もう、言葉もありません。 

 

ピッチフォークがすでにブリストルで自由時間を過ごしていたとはビックリです。

私がよく行くグロスターやチェルトナムでなかったのは幸いでした。

というのも、彼が今(たぶん)いるレイヒル刑務所は、じつは、我が町ダーズリーから遠くないんです。

レイヒルについては、またいずれ記事にしますね。

 


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