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Channel: ハナママゴンの雑記帳
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いつでも帰れる場所があるということ

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12月に入り、じわじわと盛り上がるクリスマス気分。

テンションの低い我家なので (クリスマスのお菓子はムスメが戻ってから一緒に作ればいいか~) なんて

悠長に構えていたんですが、状況が変わったため急遽作りました。

とはいってもクリスマス・カップケーキと、去年初めて作っておいしかったクリスマス・プディング・ビスケットの2点のみですが。

  

 

 8日(火)の夜には例年通り、募金を集めるためのサンタクロースのフロート(山車)がまわってきました。

募金用のバケツを持ったボランティアの人がフロートに付き添って歩き、

募金をするため出てきた住民に、お金をバケツに入れてもらいます。

ムスメが幼い頃は、募金後少しだけ追っかけをしたこともあったっけ。

 今年のフロートはすごく小さめだけど、それでもムスメが帰宅する前で残念だったな。

 

 ムスメは11日(金)夜、無事グロスター駅に到着し、遅番後の私が駅から拾って一緒に帰宅しました。

去年の、生まれて初めて家を離れて暮らすようになってからのクリスマス休暇の帰宅と比べたら、

感動はお互いにかなり盛り下がっていましたが、それでもやっぱりウレシイ

 

さて、私がなぜ急遽クリスマスのお菓子を作ることにしたかですが。

ムスメに打診され、仲良しのティアを12日(土)から18日(金)まで泊めてあげることにしたからです。

一昨年の今頃、ムスメに嬉しい言葉を言わせるきっかけになってくれたティア。

話はちょっと長くなりますが、ティアはあの後、一年間のギャップ・イヤーを取って

働いて少しお金を貯めてから進学することにしました。

それで去年の秋から今年の夏までは、それまでと変わらず母親と弟妹とともに暮らしながら、地元で働いていました。

母親は町に子供服・子供用品のお店を開くというビジネスに手を出したんですが、

素人が何の考えもなく始めたものだから、赤字続きで一年ももたずに閉店に追い込まれました。

ティアはお店の賃借料を肩代わりするよう母親に要求され、実際に一部、肩代わりもしたそう。

学生ローンを組んでお金を借り、進学のため夏にロンドンに引越し、9月から大学生になり、

ようやく母親と距離を置けると思ったのですが、母親は変わらずお金を無心する電話を寄越し続けたそうです。

(もう無理) と電話に出ないようにしたところ、母親はティアが通う大学に直接電話をかけて、

「娘に電話に出るよう伝えてくれ」 と頼んだそうです。

どういうことなのかと訊かれたティアが事情を説明すると、大学当局からもやんわりと

「そういう親とは疎遠になるように」 勧告されてしまいました。

(注: ティアは内気で寡黙な子なので、事情はすべてムスメからの又聞きです。)

家を離れて初めてのクリスマス休暇だけれど、どうせお金を無心されるだけだから、家には帰りたくない。

でも地元の友達には会いたい。

そんなわけで、うちに泊まってもらうことになったのです。

クリスマスの時期は仕事でロンドンにいなければならないので、クリスマス前の約一週間を我家で。

クリスマス後にまた一週間ほど休めるときは、別の友達の家にお世話になることになっています。

 

ロンドンで一人でクリスマスを迎えるティアのために、ムスメその他は一足早いクリスマスの真似事をすることにしました。

14日(月)の晩は、狭い我家のムスメの部屋に、ムスメとティアに加えて寝袋持参で来たもう一人の友達が雑魚寝。

15日(火)の朝は、クリスマス・ツリーの足元に置いておいたお互いへのプレゼントや靴下を開け、

夕食時にはその日ブライトンから戻った4人目の友達も一緒に、手作りのロースト・ディナーで、

クリスマス のつもりでお祝い   しました。

(ディナー・シーンの背景に見える私の机が雑然としていることには目をつぶっていただければ幸いです。)

 

(オットーと私もディナーのおこぼれにあずかりましたが、なかなかの出来でしたよ。)


話が長くなりましたが、そんな訳で

(一足早くクリスマスを祝うのなら、クリスマスのお菓子もなきゃダメじゃない!)と思い、速攻で作ったのでした。

そうしてティアは、昨日(18日金曜日)ロンドンに戻っていきました。

が・・・・・

 

一人暮らしを始めて初めてのクリスマスなのに、親元に帰る気になれないなんて。

ティアの胸中を思ったら、何ともやりきれない気持ちになってしまった。

 

親がいる場所というのは、子供にとっては世界でただひとつの、

“いつでも帰れる、いつでも温かく迎えてもらえる場所” であるはずなのに。

子供が生まれてきたのは親が産むことを選んだ結果なのだから、親には子供を愛し、その成長を守る義務があるのに。

子供には親を選べないのだから。

 

なのに子供を愛さない、その成長を守ってくれない親の元に生まれてしまったら・・・?

 

帰れる家があるって、本当に幸せなことだと改めて思います。

私の両親は貧しかったけれど、兄と私を本当に大事にし、いつでも兄と私のことを最優先に考えてくれ、

経済的苦境にもかかわらず進学もさせてくれました。

だから親というものはすべてそういうものだと思って成長してきましたが、

その後そういう親ばかりではないことを知り、親への感謝の念、親に対する尊敬の念がぐっと深まりました。

運悪く “そういう親ではない親” の元で成長せざるを得なかった人たちを、本当に気の毒に思います。

そしてティアは、紛れもなくそういう人たちの一人。

 

最近興味深く読んだ発言小町のトピック 『中流家庭に生まれたかった。普通に育ちたかった。

私も子供の頃は自分の部屋を持っている友達がうらやましかったし、

思春期には (うちがもう少し豊かだったらな) なんても思いました。

でも大人になって世の中が見えるようになってからは、親に対してはただただ感謝するのみです。

 

このトピックの主さんは、まだ成人していないのかな?

もしもう成人して家庭も持っている方なのだったら、私はトピック主さんよりも、

そのご両親をお気の毒に思います。 「娘さん、残念な大人に成長されましたね・・・」 って。

 

わがムスメはもちろんのことですが、どうかティアの将来も、幸せで一杯になりますように! 

 

 

 

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