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Channel: ハナママゴンの雑記帳
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今さらながら・・・ 『塩狩峠』

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日本人で 『塩狩峠』 を知らずに成人できる人っているんだろうか?

と個人的には思うくらいに有名な小説、『塩狩峠』。

私も10代の頃 『塩狩峠』 について知った。 それが実際の出来事に基づいていることも。

でも若さゆえそんな悲しい話を読む気になれず、読まないまま年月が流れた。

 

 

歳を重ねて 『老い』 や 『死』 がぐっと身近になってきた近年、ようやく読む気になって英語版を買ってみた。

そのまま“積ん読”になっていたが、半年くらい前にトロッコ問題を読んでいて 『塩狩峠』 を思い出し、最近ようやく読み終えた。

         

 

地理に弱い自分のため、塩狩駅の位置を確認。 塩狩峠の事件が起きたときにはまだなかった駅だそうだけど。

 

塩狩峠で犠牲になった長野政雄氏は、旭川に住んでいて事故当夜は和寒(「わかん」じゃなくて「わっさむ」ね)から列車で帰宅する途中だったという。

  

 

列車は北側から塩狩峠を上っていたが、もうすぐピークというところで最後尾の客車の連結器が外れてしまい、

上り坂だったゆえ後退を始めたそうだ。 通常は列車の最後尾にも機関車が接続されるのだが、このときは

客車車両数が少なかったため?接続されていなかったらしい。

 

 

塩狩駅。 無人駅らしい。 ググってみたら塩狩駅の両隣駅(和寒駅蘭留駅)も無人駅ぽいけど、駅舎はこれより立派だ。

 

 

塩狩駅に立つ、『塩狩峠』 作者・三浦綾子氏。 彼女の後方、和寒方面が事故現場ということになる。

 

塩狩駅から少し北に進んだ線路の脇に、塩狩峠の道標と 『長野政雄氏殉職の地』 の記念碑・・・顕彰碑がある。

 

 

 

すぐ脇に立つのは、2013年にオープンしたという塩狩ヒュッテユースホステル。 (食べログページはコチラ

 

 

そのあたりから駅を振り返ると、右手の小高い場所に 『塩狩峠記念館』 があるらしい。

 

商店を営んでいた三浦綾子氏の実家を旭川から移設して、1999年5月に開館したという。

    

三浦夫妻の住空間や使用した生活用品や著作の資料が展示され、

    

三浦氏が 『氷点』 を執筆した部屋も再現されているそうだ。

    

 

1973年には映画化もされた 『塩狩峠』。 英語版も作られたみたい。

  

(私は日本にいる間映画版も見たことがなかった。 英語で吹き替えられているけれど、コチラで映画の後半が見られます。 私は見ました。)

 

長野政雄氏の犠牲が風化されないよう彼は定期的に偲ばれ、命日にはキャンドルを灯して追悼されるそうだ。

        

 

54歳にして初めて読んだ 『塩狩峠』。 いろいろと考えさせられたが、納得できない点がふたつあった。

その1: 愛情溢れる母親が信仰のため生まれたばかりの我が子をおいて家を出ることが信じられない。 (私だったら 「キリスト信仰はやめました」 と嘘をついて、姑が死ぬのを待つ。)

その2: 信夫がふじ子との結納に向かう途中で事故死するというのは出来過ぎでドラマチック過ぎ。 結納の日取りを決めるためふじ子に会いに行く途中だったという設定で十分だったと思う。

それから映画版のラストでは、ふじ子は気を強く持って涙を見せなかったけど、あれほど長い間病に苦しみ、奇跡的に回復してようやく信夫と幸せになれるというときに信夫を失ったのだから、小説のラストのように号泣するのが自然だったと思う。

 

とは言いつつも読んでよかったと思ったので、英語ブログに記事を書き、オットーに英文をチェックしてもらった。

すると疑り深い現実的なオットーから率直な指摘が。

「マサオの体が列車を止めたとは信じないよ。」

それを聞いて、感動に浸っていた私はカチンときた。 でもオットーと話すうち、40年近く前に初めて 『塩狩峠』 の話を

聞いたときに感じた、ぼんやりとした疑問が徐々に蘇ってきた。

「脆い人間の体で、たとえ一両とはいえ、たとえ徐行していたとはいえ、客車を止められるものなの???」

 

当時の新聞記事によると、長野氏の死ははじめは転落による事故死とみなされたらしい。

両脚が 「大腿部以下切断され」 ていたのなら、車輪の少なくとも片方は、長野氏の体を通過したことになる。

でも実際に列車はその直後に止まったようだし・・・

 

それに関するオットーの見解はこうだ。

列車は長野氏のブレーキ使用により停止しつつあった。 長野氏は乗客の方を振り返り、「もう大丈夫だ」 の意味で

(「さよなら」の意味ではなく) 頷いてみせた。 ところが停止直前に列車がガクンと揺れ、長野氏は反動で線路に転落し、

不幸にも轢死した。

 

感動に水をさすオットーに最初は反発した私だったが、じっくりと考えるうち、この考えの方が現実的に思えてきた。 だって・・・

 

ゆっくり自動車に轢かれただけだって重傷あるいは死ぬことだってあり得るほど人間の体は脆いのに、

そして無知な私だって一個の人体が客車を止められるか疑問に思うのに、

長野氏が 「自分の体で客車を止められる」 と確信できたとは思えない。

平地を進んでいたのなら摩擦でやがては自然に止まっただろうけど、実際は下り坂を進んでいたんだもの。

乗客はパニックするばかりだし車掌も何もできなかったようだから、もし彼の犠牲が客車を止められなかったら、

客車は暴走を続け、加速し、いずれはどこかのカーブで脱線・転覆して犠牲者を出していた可能性が高い。

たとえその時は徐行していたとしても、確信が持てないのに、はたして長野氏は線路に飛び降りただろうか・・・?

実際はオットーの推測通りで、客車はブレーキによって停止できたのではないか・・・?

長野氏の身体との摩擦が停止の助けになったということは有り得るけれど。

 

長野氏が車輪の下敷きになったのは、意図的だったか否か。 それは未来永劫誰にもわからない。

その答を知っている唯一の人間は、あの日死んでしまったのだから。

長野氏の犠牲は意図的だったと現在は広く信じられているようだが、もし意図的ではなかったとしたら、長野氏は草葉の陰で

(そうじゃなかったんだ、あれは事故だったんだよ~!) ともどかしい思いをしていることだろう。

自己顕示欲のカケラもない、本当に純粋で謙虚で隣人愛に溢れた人だったらしいから。

 

でも、たとえ長野氏が事故で転落死したのだとしても、やはり彼はヒーローだ。

彼が非常用ブレーキを操作しなかったら、客車は止まらなかっただろうから。

その結果の犠牲の死だから、彼の死を悼むのはやはり正しいことだ。

 

塩狩峠についてあれこれ読むうち、著者の三浦綾子氏(1922-1999年)がふじ子顔負けの病人であられたことを知った。

というか、三浦氏がふじ子に自分の半生を投影したというか。

結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病・・・・・

 

  

 

キリスト教信仰と夫の三浦光世氏(1924-2014年)に支えられ、病気と闘いながら執筆活動を続けられたようだ。

営林署勤務だった光世氏は、自分で書けなくなった綾子氏の口述筆記に専念するため退職。

その後は二人三脚で次々と著作を発表したらしい。

祈り ‐ 苦難をともに40年 ‐

 

        

 

三浦綾子さんの作品は 『氷点』 しか読んだことがなかったし、これほどまでに病気に苦しまれた作家さんだとは全然知らなかった。

健康で生活できるって本当に幸せで本当に恵まれたことだと、つくづく思う。

 

長野政雄さん、三浦綾子さん、そして三浦光世さんのご冥福をお祈りします。

 

 

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