友人知人の少ない私なので訃報などめったに入らないのに、実は先月はもうひとつ訃報があった。
悲しい報らせの前週に、父方の叔母の長男(=私の従兄)が亡くなったのだ。
オットーと同い年の従兄は、まだ58歳だった。
私の両親はともに福島県で生まれ育ったが、集団就職で東京に出てきたので親類とは夏休みの帰省時に会うくらいだった。
それも兄と私が成長するにつれ回数が減っていき、私がイギリスに来たこともあって、成人してからは片手に余るほどしか会っていなかった。
去年の春にムスメと日本に行ったとき叔母を訪ねて(日本だより2)先月亡くなった従兄にも会えた(下右)が、
あれだって18年前の私の父のお葬式以来だった。
(半世紀前の写真(下左)だけど、顔立ちや体型はそのままの私って・・・ )
長男として農家を継いだ従兄だったが、40代半ばで脳梗塞にやられ、身体機能が一部麻痺してしまった。
でもリハビリで改造車を運転できるまで回復したと聞いていた。
昨春も、やや足を引き摺りながらも杖なしで歩けていた。
ただ腎臓を悪くしてしまい、週3回人工透析に行かねばならないとのことだった。
「あれがまた、痛いらしくてなぁ・・・」 と叔母は辛そうに話していたっけ。
(従兄は母屋に、叔母夫婦は裏手の隠居家屋に住んでいるので、従兄とはおいとま間際まで会わなかった。)
従兄の訃報は兄がメールで知らせてくれたが、お葬式に参列した兄によると、酒好きの従兄は脳梗塞をやってからも
飲酒がやめられず、去年とそれ以前の二度、酒気帯び運転で車を廃車にしていたという。
「勝気な奥さんは実家に帰ってしまった」 と兄はやや奥さんを非難する語調だったが、同じ女の立場からすると、
私にはそれは無理からぬ事と思える。 車を廃車にするって、ちょっとやそっとの破損じゃないもの。
一度ならず、二度までも?
自分で運転してお酒を買いに行っては、車の中に隠して飲んでいたらしい。
田舎は寄り合いとか組合の集まりとかで飲む機会が多いけれど。 飲むのも大事なコミュニケーションのひとつだろうけど。
お酒に飲まれちゃダメだ。
兄によると、涙もろい叔母だけど、お葬式ではそれほど大泣きしなかったそうだ。 家族には (対人事故を起こす前に
逝ってくれたのが救い・・・) という思いがあったのかもしれないと、兄は推測している。
幸い従兄にはすでに30歳前後になる息子が2人いるので、農業はこれまで同様2人が続けてくれるそうだ。
従兄は人工透析の日はいつも入浴してから出かけるそうで、その朝もお風呂に入っていた。
なかなか出て来ないので家人が様子を見に行ったら、浴槽の中で亡くなっていたという。
親類の中では一番近しい母方の叔母と電話で話したら、「オットーさんは大丈夫?」 と。
オットーはお酒はダメだし(下戸)煙草も吸わないし倹約家だからギャンブルもやらないと言うと、
「本当にいい人を見つけたわね~」 と感心してもらえた。
そうだよね。 親にとって子供に先に逝かれることほど辛いことはない。
不治の病とか事故とか自然災害とか、本人にはどうしようもない原因なら親もあきらめられる。
でも本人の生活習慣とか食生活とかが原因だったのなら、本人の心がけ次第で避け得た死だったのなら、
親もあきらめきれないだろう。
『逆縁の不幸』 という言葉を、その昔週マで連載されていた 『エースをねらえ!』 で学んだ。
そうつぶやいた宗方コーチは不治の病にかかっていたから仕方がなかったのだけれど。
子供は自分が死ぬ前に、まず親を送らなきゃ。
逆縁の不幸などという最悪の親不孝の種を、自分で作っちゃダメ!
・・・私も十分気をつけることにしよう。