わが町ダーズリーから東に3kmほどのところにあるユーリー(Uley)村。
チャールズ皇太子によって公式にオープンされた村で唯一の商店と、レトロなガソリンのポンプ?を門柱代わりに使っている家がある村です。
そのユーリー村から東に1kmほどの位置に、アウルペン・マナーというマナー・ハウスがあります。
木々に囲まれ教会を背後に控えてひっそりと佇むマナー・ハウスは、まるで隠れ里にあるお城のよう。
南側に、小さな庭園。アウルペン・マナーは一般公開されているので今から15年ほど前に一度だけ訪れたことがありますが、あまり記憶に残っていないところをみると、それほど感銘は受けなかったのかな?なんだか狭かったという印象だけありますが。って、私に言われたくないか。
中世期に小規模に建築されたアウルペン・マナーは15世紀から16世紀にかけて修復・増築されました。しかし19世紀に入るとこの地域の主要産業だった織物業が急激に衰退。1831年に255人だったアウルペン村の人口は、わずか10年後の1841年には94人にまで減ってしまいました。村人は、新しい生活の地を求めてアメリカ、カナダ、オーストラリアやニュージーランドに渡ったそうです。ユーリー村にも約200戸の空家ができました。またその頃アウルペン・マナーの所有者だった貴族は「小さすぎる」という理由で1マイルほど離れた場所に新たな邸宅アウルペン・ハウス(こっちは現在は残っていないそうです)を建てて引越してしまいます。管理人のみを残して打ち棄てられたアウルペン・マナーは、徐々に荒れ果てていきました。
そんなアウルペン・マナーを救ったのは、建築芸術家ノーマン・ジューソン(Norman Jewson 1884-1975)でした。ウィリアム・モリスらが始めた“古い建物保護協会”の熱心なメンバーだった彼は、1925年にアウルペン・マナーが売りに出されるとそれを買い取り、見事に修復します。修復されたアウルペン・マナーは富裕な上流家族に買い取られ、ふたたび住居として機能できるようになりました。
アウルペン・マナーの背後に控えるのは聖十字教会。初めて記録に登場したのは1262年で、本堂は1828年に再建されたそうです。
ここでようやく本題に入るわけですが。アウルペン・マナーで去年のはじめに3週間ほど、ハリウッド映画のロケが!行われたそうです!!
アウルペン・マナーは映画の主人公レイノルズ・ウッドコックの田舎の別邸という設定で使われました。ウッドコックを演じる俳優ダニエル・デイ=ルイスのプライバシーを守るため、撮影期間中は彼はアウルペン・マナーに隣接して9つあるホリデー・コテージのひとつに滞在。ウッドコックの妻を演じるヴィッキー・クリープ(Vicky Krieps)も、母親と息子と一緒にコテージのひとつで暮らしました。クリープスの幼い息子は、撮影が終わってもアウルペンを離れたがらなかったそうです。
ロケの秘密を守るため、アウルペン・マナーでの撮影は極秘にされました。なのでようやく今頃になってニュースになったみたい。
下左は映画が1950年代の設定なので、ブリストルから借用してきたというクラシック・カー。
ストーリー展開上重要な役割をもつ、キノコを採集するシーン(下左)の撮影。暗幕でマナー・ハウスが隠されていた(下右)こともあったそうです。夜のシーンの撮影かな?
撮影クルーは多いときは150人に上ったそうです。さすがのマナー・ハウスも、それほど広くは感じなかったのでは?
映画の題名は『ファントム・スレッド(Phantom Thread)』。アメリカではすでに去年のクリスマス・デーから公開されていて高い評価を得、オスカーにも6部門でノミネートされているんですね。実在した英国人デザイナーのチャールズ・ジェームズ(Charles James 1906-1978)にヒントを得て製作されたというこの映画。ファッションには興味ないけど、一部がアウルペン・マナーで撮影されたというところに親近感を感じます いつかTV放映されたら見てみようっと。
撮影が行われた3週間、アウルペン・マナーのオーナー夫妻は朝の5時に自分たちが眠っていた寝室の窓から電線を通させてあげたり、キッチンを明け渡して裏手の部屋で食事を取ったり(でも「ケータリングのトラックから食事をもらえたから文句は言わないわ、美味しかったから!」とのこと)と不自由に耐えるようだったそうです。でも自宅がハリウッド映画の撮影に使われて映画の一部として永久に残るなんて・・・羨ましい~!!
アウルペン・マナーの内部をのぞかせていただきましょう。ソーラー・ルーム(下左)とオーク・パーラー(下右)。
リトル・パーラー(下左)とグレート・ホール(下右)。
アウルペン・マナーには“マーガレット王妃の部屋”なる部屋もあるそうです。ヘンリー6世の王妃マーガレット・オブ・アンジューが、テュークスビュリーの戦いの際に泊まったことに由来して。あれ、なんか聞いた覚えがあるぞ、マーガレット・オブ・アンジュー?と思ったら・・・ヨーク旅行記を書いていて調べ知った名前でした。すっかり忘れてた!
シェイクスピアが1590年頃に書いた史劇『ヘンリー6世』には、ヨーク公の首を市門に晒すことに言及する場面があるそうです。『ヘンリー6世・第3部』第1幕第4場。ヨーク公を捕えて刺殺したクリフォード卿とヘンリー6世の妃マーガレット・オブ・アンジュー(実際に残忍な野心家だったらしいです)。マーガレット王妃はこう提案します。
“Off with his head and set it on York gates; So York may overlook the town of York.”(首を切り取ってヨークの門にさらしましょう、ヨーク(公爵)がヨークの町を眺められるように。)
1446年の建造だというサイダー・ハウス(下左)は結婚披露宴など特別なイベントのときレストランとして使われるようです。下右が1974年からアウルペン・マナーに暮らす、現在のオーナーのマンダー准男爵夫妻と飼犬のカリフィー(Kalifi)。
ということで、良い目の保養をさせていただきました。ありがとぉ~! (アウルペン・マナーのウェブサイトはコチラ。)
ついでながら・・・ ユーリー村の北側にはUley Buryという鉄器時代のヒルフォート(hillfort)が残っています。
下の画像、教会の背後に見えるてっぺんが平らな部分がそれです。私たちもケイトーがいた頃、たまに散歩に行きました。海抜235mあるので眺めが良いのです。
空から見るとこんななんだー!なかなかにスペクタクル
暖かくなって地面が固まったら、久しぶりにまた散歩に行ってみようかな?