両親と子供4人の、6人一家。
彼らは毎夏、キャンピングカーで英国を出発して西欧を横断し、また英国に戻るという家族旅行をするのが慣わしだった。
助手席には、長男のO少年(13歳)が座り、母親と弟妹たちは後部に座った。
英国では車は左側通行だが、欧州大陸では右側通行なので、右ハンドルを握った父親はO少年に、左側の安全確認を命じた。
走行中、父親は大型トラックを追い越しにかかったが、対向車線をやって来るトラックに気づくのが遅れた。
衝突は免れたが、キャンピングカーのサイドミラーが接触され、粉々になったガラスが大きく開いていた助手席の窓から飛び込んだ。
うたた寝してしまっていたO少年は、びっくりして飛び起きた。
そのまま運転を続けながら、父親は、O少年の腿――短パンを履いていたためむき出しになっていた腿――を、
左手で何度も叩いた。
当然の罰だった。
O少年がうたた寝して安全確認を怠ったために、車は接触事故を起こして左のサイドミラーを失ったのだから。
* * *
O少年とは、もちろん、我が夫オットーのことです。これは、オットーが話してくれた、義父に関するエピソードのひとつ。
上のような事が起きたら、常識的な父親は、あわてて車を停めて長男にも他の誰にも怪我がなかったか確認し、
自分の判断ミスで接触事故を起こしたことを、家族に謝りませんか?
今は亡き私の父だったら、絶対にそうしたと思います。
でも義父は、自分は常に正しく、何かミスが起きたらそれは必ず別の人間の所為(せい)ですから。
義父の脳内では、うたた寝をして接触事故の原因をつくったオットーは、罰せられなければならなかったのです。
この話を聞いたとき、義父の思考回路に驚き呆れたのはもちろんですが、義母にも呆れ果てました。
こんな夫を見て、(この男は夫としてだけでなく父親としてもダメだ、一生連れ添う価値はない)と、悟らなかったんですね・・・。
やはり昔の価値観の人だから、『離婚は絶対ダメ』だったんでしょうね・・・。
* * *
今年10月に、義父の従妹アグネスをドイツに訪ねてきた私。下は彼女のアルバムにあった写真の写真です。
オットー一家が1971年夏のドライブ旅行の際に、アグネスの家に寄ったときのもの。
上記のエピソードが起きた年の写真ではありませんが、参考までに貼っておきます。
上の写真が撮られてから48年5ヶ月後の一昨日。義父は、入院していた病院で、やっと息を引き取りました。
享年、93歳と、きっかり8ヶ月でした。
住み込み先で訃報ふたたび・・・の記事をUPした翌朝、オットーからメッセージが入り、知らされました。
やっと。ようやく。クリスマスに間に合ってくれました。
クソ野郎義父のその後について書かなきゃと思っているうちに最期がきてしまいました。
次回、私がアグネスをドイツに訪ねて以降、義父が死に至るまでの過程をつらつらと、でもできればさっくり、書きたいと思います。