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Channel: ハナママゴンの雑記帳
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エドワード・ジェンナー ~ワクチンの生みの親~

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我が町ダーズリーから車でほんの15分ほどのところに、ダーズリーよりさらに小さいバークリー(Berkeley)という町があります。

この町には、天然痘ワクチンを開発したことで世界的に有名な(私は不得意分野なので知りませんでしたが  )、

エドワード・ジェンナーの博物館(Dr. Jenner's House, Museum and Garden)があります。

私は博物館前を通ったことはありますが、中には入りませんでした。

住居は1エーカー(1224坪)近い広大な庭に囲まれているそうです。

この住居が建てられたのは、18世紀の始め頃。当時あった、村の教会に隣接する僧たちのコミュニティーに関連する土地に建てられたため、

住居の通称は “ザ・シャントリー“ (The Chantry=小礼拝堂)というそうです。

 

ジェンナーはこの住居を1785年に買い、1788年のキャサリン・キングスコートとの結婚前に引越してきました。

 

グロスターシャー州の田舎町バークリーで生まれ育ったエドワード・ジェンナー(1749-1823)。

成人して開業医となった彼は一度も英国を出ることなく、ロンドンとチェルトナムに一時的に住居を所有したこともあったものの、

その生涯のほとんどをバークリーで暮らしました。

 

ジェンナー博物館内には、ジェンナーの書斎が再現されているようです。『博物館にはセーラ・ネルムズ(後述)に牛痘を与えたとされる

雌牛ブロッサムの角も展示されている』とのことですが、テーブルの上にあるのがそれかな?

 

ジェンナーが医師として活動していた頃には、乳搾りなどをして牛と接することによって自然に牛痘にかかった人間は、その後天然痘に

かからないという農民の言い伝えがあった。天然痘に比べると、牛痘ははるかに死亡率の低い安全な病気であった。ジェンナーは

これが天然痘の予防に使えないかと、1778年から18年にわたって研究を続け、1796年5月14日、ジェンナーの使用人の子である

ジェームズ・フィップスという8歳の少年に牛痘を接種した。 - ウィキペディアより

 

聞こえが悪いですが、実験台にされたのは、当時8歳のジェームズ・フィップスくん(James Phipps, 1788-1853)。ジェンナーによって牛痘

接種された最初の人間として歴史に残ることになりました。彼は貧しい労働者の息子としてバークリーに生まれ、彼の父親は当時ジェンナーの

庭師を務めていました。ジェンナーは、乳搾りに携わっていたセーラ・ネルムズの手にできていた牛痘の水泡から採取した膿を、ジェームズ

くんの腕につけた切り傷に接種。ジェームズくんは接種から7日目に脇の下が変に感じると言い、また9日目には少し寒気がし食欲を失くし、

軽い頭痛もありました。この日の彼は一日中目に見えて具合が悪く、夜もなかなか休めないようでした。が、翌日には完全に健康体に

戻っていたそうです。約6週間後、ジェンナーはジェームズくんに天然痘を接種。しかしなんの影響もなかったため、ジェームズくんは

天然痘から完全に予防されたと、ジェンナーは結論づけました。その後ジェームズくんは20回以上も天然痘を接種されましたが、

病に冒されることはありませんでした。

 

ジェンナーは感謝のしるしとして、成人したジェームズくんが妻子と住めるよう、家を贈与しました。ジェンナー博物館から50mほどの距離に現存する

この家のレンガ塀には、そのことを記す銘板が掲げられているようです。またこの家は、“ザ・シャントリー”が博物館用に買い取られて

1985年にそこに開館するまで、ジェンナー博物館として1968年から1982年まで使用されていたそうです。

 

ジェームズ・フィップスは1823年2月3日に、ジェンナーの葬儀に参列しました。彼自身も1853年に、ジェンナーと同様、バークリーの

聖メアリー教会に埋葬されました。

8歳の子供を実験台にすることなど、現代では考えられないことです。が、当時は、貧しい労働者の子供たちは成人できればもうけものという

時代だったでしょうし、この実験のおかげで膨大な人命が救われたのですから、ジェームズくんに、大大大感謝!

 

博物館の庭の隅にある、“The Temple of Vaccinia” と呼ばれる小屋。ジェンナーはこの小屋でバークリーの貧しい人々に、無料でワクチンを

接種したそうです。ワクチンを望む人々の長い行列は、庭に収まりきらないこともあったとか。

 

 

ジェンナー博物館とその庭のこんな見取り図が出てきましたが、文字が小さすぎて読めないので雰囲気だけでもお楽しみくださいな。

“ザ・シャントリー” はジェンナーの死から半世紀ほど後の1876年に、ジェンナーの子孫によって英国国教会に売られ、

その後は牧師館として使用されていました。

が、一世紀以上経った1985年に、エドワード・ジェンナー博物館が、この家を買い取りました。

その際なんと笹川良一氏(1899-1995)が、購入が実現するよう莫大な寄付をしたそうです(参: Dr. Jenner's House)。

ジェンナーについて調べていて、突如出てきた日本人との関連!嬉しい!

ウィキによると、笹川氏は:

中でも特筆されるのは、WHO天然痘根絶事業に対する巨額の資金協力(民間団体としては世界一)と、ハンセン病患者の救済である。

ハンセン病のワクチン改良にはワクチン接種の第一号被験者となり、(財)笹川記念保健協力財団を作って会長として各国のハンセン病院を

慰問して回った。

笹川氏といえば、「一日一善!」のCM、何となく覚えています。あれこれ評価が分かれる人ではありましょうが、

この寄付に関しては、心から感謝します。

でも、ですね・・・ こんな田舎町にある博物館なものだから、訪問客は少なくて、運営はなかなか厳しいものがあるみたい。

閉館の危機にあるというニュースは時折入っていました。緊急に必要だった2万ポンドが集まり、去年かろうじて閉館を免れたばかり。

Dr Jenner museum saved from closure after £20k raised - BBC Gloucestershire 27/01/2019

ところがここに来てコロナによるロックダウンのため、またまた大打撃です。

Museums dedicated to Florence Nightingale and vaccine pioneer Dr Edward Jenner face ruin due to Covid - Mail Online 04/05/2020

ロンドンにあるフローレンス・ナイチンゲール博物館と同様エドワード・ジェンナー博物館も、閉館の危機に瀕していると・・・

 

これだけモダン・テクノロジーが発達した時代にあっても、微生物のせいで社会活動が停止され日常生活が完全にひっくり返されることがわかったのですから。

人類、まだまだ過去から歴史から学ぶことは多いです。そのためにも、こういった教育的価値のある施設は、何とかして生き延びて欲しい!

(ジェンナー博物館をスルーしてきた私が言っても、ウソっぽくしか聞こえませんが・・・

 

 バークリーはほんと小さな町なので、近いにもかかわらず私が過去に訪れたのも、ほんの数回のみ。

バークリーにはあまり大きくないながらもお城があります。これはバークリー家の所有ですが、一部は一般公開されています。

私はお城には、21年前に一度だけ行ったことがあります。母が日本から遊びに来たので、幼かったムスメと3人で。

なかなか歴史あるお城で、“英国史上最低の王” エドワード2世が5ヶ月間幽閉されたのち王妃の命で1327年9月21日に惨殺されたのは、

ここバークリー城(Berkeley Castle)でだったそうですよ。(お城のウェブサイト: WWW.BERKELEY-CASTLE.COM

 

新型コロナ禍でワクチンが脚光を浴びつつある今こそ、ジェンナーの功績を振り返るべきときですよね。

こんな世界的有名人が、その昔我家の近くに暮らしていたなんてすごい。

ジェンナー博物館が再開したら、私も訪れてジェンナーのワクチン開発に感謝するとしようかしらん。

バークリー観光に興味を持たれた方のため、観光インフォへのリンクも貼っておきます。

Berkeley Tourist Information & Travel Guide - COTSWOLDS.INFO

Berkeley - Travel About Britain

ただバークリーは、ほんと交通の便の悪い田舎にありますから・・・ 車でないと、観光に訪れるのはかなり難しいかと思います・・・。

ちなみにロンドンのケンジントン公園には、ジェンナーの像があるそうです。

  

それから何と、東京の国立博物館の側にもあるみたいです。博物館と野口英世像の中間地点くらいに。知らなかったわぁ~!

 

ということで、今日の記事は、キモい前回のとは違ってためになる内容でしたよね?

なぜ今さらジェンナーについて書く気になったかというと、それは、さーたりさんのブログでジェンナーについて言及されていたからです。

感染症の歴史 - 腐女医が行く!! ~外科医でママで、こっそりオタク~

外科医で3児のママなうえオタクでもあるさーたりさんは、まさにスーパーウーマン!

きっと一日48時間、否、72時間くらいあるに違いないっ!

長女のむーちゃんも、すごい物知り!将来が楽しみ!!

 

《 オマケ 》

我家から見えるロング・ダウン丘(ブーメラン丘)とカム・ピーク(三角丘)にはよく散歩に行きますが、

カム・ピークの右奥に、もうひとつ丘があります。

 

平らになったてっぺんに木が立ち並ぶその丘の名は、ダウナム・ヒル。

カム・ピークから見るとこんな感じ。

でもこの丘、じつはローカル住民には、スモールポックス・ヒル(Smallpox Hill = 天然痘の丘)とも呼ばれています。その由来?

昔この丘の南東側のてっぺん近くに、天然痘にかかった人の隔離施設があったからだそうですよ!

19世紀まで使われていたというその施設、20世紀に入って取り壊されましたが、石造建築のその名残りは、今でもわずかに残っているとか。

 

まだワクチンが開発される前のことだろうから、天然痘にかかった人々はそこに隔離されて、・・・そのあとは・・・?

たとえCovid-19にかかろうとも手を尽くして治療にあたってもらえる現代に生まれてきたことに、感謝しなきゃですね。

ダウナム・ヒルにはまだ一度も行ったことがないから、いつか足を延ばしてみたいなぁ。

 

《 オマケのオマケ 》

天然痘は、英語で:  Smallpox スモールポックス

水疱瘡(水痘)は: Chickenpox  チキンポックス

天然痘がスモールポックスと呼ばれるようになったのは、16世紀頃。

当時グレートポックスと呼ばれていた梅毒(正式名 Syphilis=Great Pox)と区別するためだったそう。

水疱瘡については由来がはっきりせず諸説があって、皮膚にできるブツブツが鶏に突つかれた跡に似ているからだとか、

Chickpea(ヒヨコマメ)に似ているからだとか、あるようです。いずれにせよ鶏が水疱瘡を撒き散らすわけではないのだから、

この名称は無実の鶏にとってはいいメイワクですよね!

 


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