下は、散歩でよく上るロング・ダウン丘からの眺望です。
遥かに見える双子の丘 Malvern Hills。あの丘の向こうの、我が町ダーズリーからは70kmも離れた地域で、昨冬は住み込み介護をしていたんだなぁ・・・
去年の9月末までの8ヶ月間は、コッツウォルズの田舎にある男爵殿の邸宅で、隔週住み込みをしていたんだなぁ・・・
3月に始まった私の専業主婦生活も、早や7ヶ月目に入りました。
(なのにブログの更新が滞りがちなのは、ロックダウン中に再開したペーパーフラワーづくりにハマってしまったからで・・・すみません・・・)
現在左肩が五十肩でやや不自由な私、住み込み介護は無理かと思うので、パートのサポート・ワーカーの仕事に応募し、内定をいただきました。
最初の顧客さん(高齢女性)が決まり、今月上旬にマネージャーと一緒に最初の訪問をする予定だったのですが、当日になってマネージャーから
「顧客さんが昨日、体調を崩して救急搬送され入院された」との電話が。その後連絡がないので、まだ仕事を始めていません。
でもこの状態は、歯医者にかかるため先月21日(金)に戻ってきたムスメがまだ家にいるので、じつは私には好都合。
そのムスメも、今週末にはロンドンに帰ると言っています。仲良しのティアが、ようやくロンドンの大学に戻るので。
ティアは一昨年ムスメとフラットをシェアする予定でしたが、試験の日にパニック障害を起こして復学がおじゃんになってしまいました(参:旧友からの助け舟)。
でも昨年無事復学し、大学寮に住み、ロックダウンが始まるまではロンドンでムスメと、折に触れて一緒に遊んでいました(参:カナリー・ワーフのウィンター・ライト)。
ところがコロナ禍で大学が休学になってしまったため、ティアは地元のストラウドに戻り、友達の家に居候させてもらっていたのです。
【ティアの母親と弟妹は、母親の家賃滞納により住んでいた家から退去させられ、現在はグロスターに住んでいるそうです(参:嬉しい言葉)。】
なので私も今週いっぱいは鳴りをひそめておき、来週になったら新しい雇用主に連絡してみようと思います。
ということで今回は、充電中のこの機会を利用して、イギリスに来てから私が就いた仕事についてまとめておくことにします。
誰の参考にもならないでしょうが、お暇つぶしにでもなれば嬉しいです。
私がイギリスに来たのは、1992年2月。1991年の終わりまでの約10年間は、東京で一般事務をしていました。
1992年にイギリスに来て、オットーと出会って、翌1993年8月に結婚。1994年3月にチェルトナムからここダーズリーに引越して来、
1995年11月にムスメが生まれ、ムスメが学校に上がるまでは専業主婦をしていました。
イギリス・・・というか欧米には、専業主婦という概念は、基本ないように感じます。『女性も健康で時間があるなら働くべき』というのが
基本のスタンスというか。経済的に逼迫しているなら、なおさらのこと。
オットーは自営の在宅イラストレーターをしていましたが、私たちが結婚した頃から、コンピューターの発達により仕事が徐々に減っていきました。
なので私も働かなければ!とは思いましたが、ムスメが幼いうちだけは、育児に専念して一番かわいい時期を見逃したくなくて・・・
それに、幼いムスメを他人に預けるにはお金がかかります。何の資格もない私が稼げるお金なんてたかが知れているでしょうから、
稼いだお金がチャイルドケアへとそのまま流れてしまうのなら、自分でムスメを世話したい。そう思って、ムスメが学校に上がるまでは、
専業主婦をさせてもらいました。そう、私には、何の資格もなく・・・ しかも言葉にハンデがありましたから、よく日本人の友達と、
「私たちってフィッシュ&チップスのお店ですら働けないよね~、お客さんの注文が聞き取れなくて、『パードン?』を繰り返しちゃうから!」と
自虐的に笑い合ったものです。そんな私にできる仕事となると、ほとんど喋らなくて済む掃除婦とかかな・・・と思っていました。
2000年9月にムスメが学校に上がりましたが(イギリスでは4歳の誕生日を過ぎた9月に小学校に入学します)、ちょうどその頃近所の
スーパーで店員を募集していて幸い採用してもらえ、イギリスで初めての仕事に就きました。
《 これ以下の画像はすべてネットで拝借してきた資料画像であることをご了承ください。 》
《 リンク先にある私の別記事に掲載されている仕事場の画像等は、すべて同意をいただいて掲載しております。 》
仕事① スーパーの店員(野菜と果物の補充要員): 2000年9月末から12月末まで
ムスメが学校に上がった2000年9月、近所のスーパーでたまたまパート店員募集の貼紙を見たので応募、面接し採用され、General Assistant として
Produce (野菜と果物)の棚を補充する仕事に就きました。時給は、当時の最低賃金に限りなく近かったのを覚えています。
単純労働だったので仕事は簡単でしたが、ジャガイモの大袋(25kg入り)を持ち上げて棚に空けるなど、けっこうキツかったです。
そこで(どうせなら人助けになる仕事をしたいな)と思い、常に求人のある老人ホームの介護ヘルパーに応募することを思いつきました。
でも老人ホームは村や町はずれの静かな環境にあることが多かったので、老人ホームで働くには、車の運転が必要。
私はペーパードライバーでしたが、運転免許は持っていたんです。20歳のときに日本で取り、その後定期的に更新。
オットーと結婚後はロンドンにある日本の総領事館に免許証を送付して翻訳証明をもらい、それをイギリスの公安委員会的なところに
郵送すると、自動的に70歳まで(!)有効な運転免許証が送られてきました。
そこで転職に備えてオットーとムスメに同乗してもらい、運転の練習をし、運転に自信がついてきた頃、折よく義弟③(義妹のウクライナ人夫)から、
自分がしているサポート・ワーカーのチームに加わらないか、と誘われました。義弟③はウクライナで医者をしていましたが、イギリスで医者として
働くにはイギリスの国家試験に合格せねばならず、言葉のハンデもあって合格まで10年くらいかかりました。その間勉強のかたわら、パートで
サポート・ワーカーをしていたのです(参:甥っ子①の誕生日)。
仕事② サポート・ワーカー(パート/非常勤): 2001年1月から2011年3月末まで
サポート・ワーカーの当初の仕事先は、同じダーズリーの町にある一戸建て。学習障害のある3人の成人男性が住む家に、週3日5時間ずつ通い、
日々のあれこれをサポートするというものでした。歩いても行ける距離でしたが、雨の日とかはやはり車で行けるのは助かりました。(我家には
車は一台きりでしたが、オットーは在宅イラストレーターだったしムスメの学校も徒歩3分の距離にあったので、私が自由に車を使えました。ムスメ
の学校への送り迎えも、私ができないときはオットーがやってくれました。)
サポート・ワーカーの仕事は老人ホームの介護ヘルパーとは違いパーソナル・ケア(起床・入浴・身支度・排泄など)の手伝いはなし。
掃除・料理などの家事、郵便物の処理、買物や現金の管理などをサポートするのが主な仕事でした(参:サポート・ワーカーの仕事)。
住人たちの間で諍いが起こることもたまにありましたが、基本性格の良い人たちだったので、働きやすかったです。
その後車で30分ほど離れたストラウドのホームでも人手が足りないからと頼まれ、そちらも手伝うようになりました。
ストラウドのホームの住人も3人でしたが、スタッフが夜も含めて24時間常駐することが必要だったため、スリープ・インと呼ばれるお泊まり業務が
一泊30ポンド(=今日のレートで4200円)前後で付きました。スタッフの部屋には机とテレビとシングルベッドがあり、そこで寝るのです。
ストラウドの住人たちも良い人たちだったので、仕事に不満はありませんでした。
そうこうするうち、ストラウドのホームの同僚から「病院で非常勤のヘルスケア・アシスタントとして働いている」ことを聞いて興味をもち、
電話してみたら幸い面接に呼ばれ、採用され、2008年2月から『自分が暇なときに仕事があったら働く』ベースで働き始めました。
さてサポート・ワーカーの仕事を供給していたケア・サービス供給組織は、経営悪化のため?2011年2月にシニア・サポート・ワーカーたちを
集めて、「2年後の2013年4月から『シニア』はすべてただのサポート・ワーカーに戻され時給も下がる」こと、「休日や週末の時給
割り増しは廃止される」ことなどを通告してきました。私たちの選択肢は、その月末で離職手当をもらって辞めるか、それまでの
時給と手当で2年間働き続け、2年後の時給削減と休日・週末割り増し廃止を受け入れるかの、ふたつにひとつ。働き続けた場合は、待遇が下がる
2年後に離職しても離職手当はもらえません。私はサポート・ワーカーを辞め、高齢者精神病院での非常勤ヘルスケア・アシスタント一本で
やっていくことにしました(参:サポート・ワーカー離職のいきさつ)。
仕事③ ヘルスケア・アシスタント(非常勤/10ヶ月だけ常勤): 2008年2月から2018年9月末まで
過去にヘルスケア・アシスタントの仕事に詳しく書きましたが、職場は労働年齢の患者さんを収容しているWL病院と、高齢の患者さんを収容している
CL病院とがあり、私は高齢の患者さんと働く方が好きだったので、働き始めて半年後くらいからはCL病院のみで働きました。
仕事の内容は、精神病院を舞台にした介護ヘルパーです。うつ病・統合失調症・自己ネグレクト・無気力・自殺願望そして認知症などの症状を呈して
入院している高齢患者さんのお世話で、もちろんパーソナル・ケアも含まれました。掃除やキッチン仕事は専門のスタッフが入っていたので
する必要はなく(例外もありましたが)、有資格ナースの指示に沿って患者さんのお世話をするのが役目でした。老人ホームで働きたかったことも
あり、仕事自体は好きで、常勤にならないか誘ってもいただきました。そこで一時期、10ヶ月の契約で認知症病棟で常勤もしてみました
(参:非常勤からフルタイムへ)が、常勤になると夜勤(午後9時から翌午前7時20分まで)があるのがいちばん嫌でした。
幸い夜勤好きなスタッフがけっこういたので、私は10ヶ月中一度しか夜勤をせずに済みましたが(参:はじめての夜勤)。
10ヶ月の契約が終わったとき更新してもらえなかったので落ち込みましたが、予定していたクラクフ旅行に行って帰って来、また非常勤に戻って
仕事を始めたら、非常勤の方が自分向きと実感(非常勤に逆戻り / 非常勤になって)。そのまま2018年9月まで非常勤として働きつづけました。
でもその間、訪問介護にトライしてみたことも。
仕事④ 訪問介護ヘルパー: 2016年8月半ばから9月末まで
この仕事については No more 認知症病棟!& 訪問介護 と 訪問介護や~めた!に書きましたが、ヘタレの私には40日しか
続きませんでした。 40日で3kg減量できたのが、思いがけないボーナスでしたけどね!
仕事⑤ 住み込み介護ヘルパー: 2018年10月から2020年3月まで
高齢者専門の精神病院での非常勤ヘルスケア・アシスタントとしての仕事にも、とうとう煮詰まった私。10年半働いたあと、2018年9月末で、
転職することにしました。ふたつあった主な理由のうちのひとつは、真面目に働かない同僚たちに嫌気がさしたこと。
もうひとつは、非常勤用の仕事が激減したことでした(詳しくは:転職した理由)。
タイミングよく2018年9月からはムスメが親のスネをかじり終えて自立してくれた(参:新米ジャーナリストへの道)ので、経済的に
リラックスできるようになったこともあり、思いきって転職しました。(実はオットーも、同時期に転職しました。オットーの話はまた別の機会に。)
住み込み介護だと顧客さんのお宅に住み込むため通勤はないし、ちょっと、高齢の親や親類のお世話をしているような感じです。普通なら
家族の一員が無償でやっているようなことをしてお金をいただくのだから、申し訳ないような気にすらなりました。私自身の母も認知症を発症し、
兄や訪問介護ヘルパーさんの助けられての在宅介護を経て現在は養護施設に入居していますから。
ただ住み込み介護は、一度始めたら一週間なりそれ以上なりの期間ずっと拘束されるわけですから、顧客さんと相性が合わなかったり、
住み込み先のお宅の環境に不満があったりするとキツイですね。一年余りの住み込み介護経験を経て、私は自分がかなりワガママなことを
認識しました。
(参: 住み込みヘルパーの一週間 / ピンチヒッターの住み込み介護 / 3軒目の住み込み介護)
男爵邸での住み込み介護は一番肌に合っていたらしく、2019年1月末から9月末までの8ヶ月間続きました。振り返ってみると、ブログにもいろいろ
書いていましたね。
(参: 夢の住み込み介護 / 男爵邸の日本画 / 男爵夫人の別の顔 / その後の男爵邸 / 男爵邸で続投決定! /
疲れたかも・・・ / 呆れた不手際 / アホなのか無能なのか / スグレモノ❣スチーム・クリーナー)
結局辞めちゃいましたが・・・。そして私が辞めてから一ヶ月以内に90歳だった男爵夫人が、二ヵ月後には93歳だった男爵殿自身が亡くなられたのは、
本当に残念でした・・・。
(参: 辞めたるっ! / 最後の夜のアクシデント / ドイツで聞いた訃報 / 訃報ふたたび・・・)
その後勤め先(私の雇用主)を変えて住み込み介護を続け、3件のお宅にお邪魔しました。
(参: 現在の住み込み仕事 / 今週の住み込み先 / 3件目の正直? / 3件目の・・・? )
その結果、最初に住み込みに入らせていただいたメアリーさん・ボブさんご夫妻のお宅なら喜んで働けそうと思ったのですが、
ただいま充電中に書いたように、今年3月、84歳だったメアリーさんが、急遽お亡くなりに・・・。
そうこうするうちロックダウンが始まり、ちょどその頃左肩が五十肩で動きによって痛むようにもなってしまったので、住み込み介護はしばらく
見合わせることにしました。私がワガママだったせいで雇用主ウッドペッカー・ケアからはもう仕事が入らないようだったし、私もウッドペッカー・
ケアに不満があったので、正式に辞職。ムスメもロンドンから戻ってきたので、在宅で仕事を続けるオットーとムスメの世話をしながら、
20年ぶりの専業主婦生活を楽しんできました。
とはいえいつまでも家でブラブラしてはいられないな、五十肩でもできる仕事はないかな・・・とネットで時折探していたところ、先月
『パーソナル・ケアのないサポート・ワーカーの仕事』を見つけたので応募し、面接して採用されることになり、
今現在、仕事の連絡を待っている。・・・という状況です。冒頭にも書きましたが、今週末にムスメがロンドンに戻ってしまうので、
来週に入ったら新しい雇用主に「その後どうなっているのか」問い合わせてみようと思います。
と、いうわけで、過去20年間の私の仕事遍歴でした。
それにしても、ムスメが学校に上がったの、ちょうど20年前の今月だったのねぇ。
月日が流れるのは早い・・・