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アラン・チューリング氏、お札に!

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ネットをサーフしていて、こんな記事を見つけました。

 

新50ポンド札、ついに登場!悲劇の天才数学者への敬意がつまった新札 - ONLINEジャーニー

 

アラン・チューリング氏の109歳の誕生日だった今月23日に、同氏の肖像が印刷された

新50ポンド札が流通に加わったそうです。

 

 

以前イギリスの紙幣という記事にも書きましたが、イギリスのお札は4種類あります。

5ポンド(770円: 裏面はチャーチル元首相)と、

     

 

10ポンド(1540円: 裏面はジェイン・オースティン)と、

     

 

20ポンド(3080円: 裏面はジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー)と、

     

 

50ポンド(7700円: 新しい裏面はアラン・チューリング)。

 

でも、ちょっと残念なことが。

不思議なことに50ポンド札って、日常生活ではまずお目にかからないんです!

たったの7700円札なのに。日本では万札なんてごく日常的に使っていますよね?ほんと不思議です。

私はずっと前に一度だけ、何かの拍子に50ポンド札を手にしたことがありました。

が、スーパーで使おうとしたら、「これは受け取れない」と断られたんです!

「珍しすぎて本物かどうかの判断が難しいから」で、「銀行で少額紙幣に両替してもらうよう」アドバイスされ、そうしました。

もう20年以上前のことだったと思いますが、それ以降も日常生活で50ポンド札を手にしたことは、一度もありません。

ATMで現金を引き出すときも、20ポンド札と10ポンド札ばかり。

今誰かが50ポンド札をスーパーで出したとしても、やっぱり受け取ってはもらえないのでしょうか・・・?

そういう状況なので、せっかくチューリング氏がお札になっても、50ポンド札では一般市民には縁が薄いと思われるんですよね。

だから、どうせならチューリング氏には、よく使われる10ポンドとか20ポンド札になって欲しかったなぁ。

ジェイン・オースティンもターナーもすでに有名だから、50ポンド札でも支障なかったと思うので。

 

アラン・チューリング氏の功績と生涯は、映画『イミテーション・ゲーム』のおかげで広く世に知れ渡りましたから、

ここでは割愛します。が、ちょっとだけ・・・

第二次世界大戦中に敵の暗号解読に挑むという極秘任務に携わっていたチューリング氏の功績は、

その後東西の冷戦が始まったこともあり、かなりの長期間、公にされることはなかったそうです。

そしてチューリング氏本人は、当時は違法(!)だった同性愛関係をもったかどで告発され、

収監を避けるために女性ホルモン注入治療を受け入れざるを得ず、

心身ともに健康状態が悪化していき、

服毒自殺を疑われる状況下で1954年6月8日に41歳の生涯を閉じたという・・・

同氏の功績が世に知れ渡り始めるのは1970年代に入ってからで、彼の親族でさえ、エニグマ・コードを解読し

戦勝に大きく貢献したのは彼だったと知ったのは、1970年代後半のことだったそうです。

 

その後チューリング氏の名誉を回復する活動が活発になり、2009年9月10日に当時のゴードン・ブラウン首相が、

政府として正式な謝罪を発表。

2013年12月24日、エリザベス女王陛下の名の下に、正式な恩赦が発効しました。

 

映画『イミテーション・ゲーム』(2014年)の公開前の試写会には、25名いたチューリング氏の親族全員が招待されたそうです。

多くの人々の運動や映画のおかげでチューリング氏の功績は正当に評価され名誉も回復されましたが、彼の親族は、

それではまだ不十分だと強く感じました。

なぜなら、1967年の法の改定以前にチューリング氏と同様同性愛関係をもったかどで告発された男性は

推定で4万9千人おり、そのうち1万5千人がまだ存命だったからです。

「エニグマ・コードを解読しようがしまいが、全員が同様に恩赦を与えられ名誉を回復されるべき」と考えた

チューリング氏の親族は、2015年2月、集めた50万を超えるオンライン署名を首相官邸に持参しました

 

2017年1月31日、同性愛を違法としていた過去の法の下で警告あるいは告発されていた男性に恩赦を与える議案が

女王陛下に正式に裁可され、即日発効となりました。

この議案はアラン・チューリング法(Alan Turing law)と呼ばれているそうです。

 

つい半世紀前までは、同性愛が違法行為だったなんて・・・

でも今は、同性婚が認められる時代になりました。

チューリング氏はもう少しあとに生まれていればよかったのに。

あ、でもそうしたらエニグマ・コードの解読はしてもらえなかったから困ります・・・

    

チューリング氏が長生きしていたら、コンピューターの開発はずっと早く進んでいたかもですね。

彼が早すぎる死を迎えてしまったのは、本当に残念でした。

恩赦され名誉が回復されたのが、せめてもの慰めです。

アラン・チューリング氏のご冥福をお祈りします。

 

チューリング氏が幼少期に住んだというイースト・サセックスヘイスティングスのバストン・ロッジ(Baston Lodge)の玄関脇の壁には、

彼の100歳の誕生日だった2012年6月23日に、ブルー・プラークが設置されたそうです。

(下左画像は、プラーク設置前のものらしい、ウィキからの借用画像です。)

 

グーグル・ストリート・ビューで見てみたら、ちゃんとプラークが掛かっていました。一部が塔みたいになっていて、ユニークな家屋です。

 

 

チューリング氏が1912年6月23日に誕生したのは、当時は病院だったという、ロンドンにあるこの建物。

1930年代からホテルだというその壁にも、チューリング氏の86歳の誕生日となっていたはずの

1998年6月23日に、ブルー・プラークが取りつけられたそうです。

グーグル・ストリート・ビューで見てみたら、ちゃんとありました。

ホテルの名前は、ザ・コロネイド・ホテル(ウィキ: The Colonnade Hotel / ウェブサイト: The Colonnade Hotel)。

夢分析で有名なフロイト博士は、自宅を改装中だった1938年夏、このホテルに滞在したそうです。

近年ではシンガーのリアム・ギャラガーや俳優ウディ・ハレルソンも、同ホテルに投宿したとのこと。

 

ロンドンのおヘソの(←個人的意見です)ピカデリー・サーカスからはちょっと離れているけれど、

地下鉄 Warwick Avenue 駅からはすぐのようだし、

シャーロック・ホームズ博物館にも歩いて行ける距離だし(←私のようなホームズ・ファンにはこれ大事!)、

近くには素敵な公園があり運河も流れる“リトル・ベニス” と呼ばれる一画もあるようだし、

このホテル、なかなか良さげでは?

チューリング氏にゆかりのあるホテルに泊まって、

彼の功績のおかげで(?)英国の公用語がドイツ語にならずに済んだ事実に感謝しつつ近所を散策するのも、

またオツなものかもしれませんね。

(注: 私はホテルの回し者ではありません。

 


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