“WITHコロナ” が定着して久しいイギリス。
以前は誰でも無料でもらえた検査キットが、立ち寄ったスーパーで売られていました。
5セット入りで9.50ポンド(1568円)、1回分は1.90ポンド(314円)ナリ。
(ケア・ワーカーの私も、定期的な新型コロナ感染検査が必要なくなって、ずいぶん経ちます。
私の場合はオフィスに電話すれば無料で送ってもらえるので、助かります。)
右隣には不織布マスク10枚入りのパックが、5ポンド(825円)で売られていました。
1枚50ペンス(82.5円)。
一時はどこへ行っても品不足で、それは大変だったのにねぇ。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。
あの緊急非常事態の悪夢が再発しないことを、ただただ祈ります。
* * *
前回記事義母の現在(2022年10月1日)で少し説明不足だったので、今回はそれを補足します。
《 注: お食事中の方は読むのを一時中断し、お食事が済んでからお読みくださいませ。 》
まずは、ベッドで寝ていた義母に起きた、大きい方のアクシデントのことですが。
「ベッドで休んでいたのだけれど、気がついたら濡れていた」と本人は言ったそうです。
気がついたときにはもう・・・ということなら、右膝の痛みのためトイレに間に合わなかったというわけではないですよね。
どうやら初めての便失禁を起こしたようです。
それから義母は「下痢をした」と言っていましたが、現物はかなり柔らかい状態ではあったものの、下痢ではありませんでした。
おそらく便失禁と思いたくないがゆえに、下痢と表現したものかと。
何事にも最初があり、その最初だけで終わることもあれば、今後も続くこともあります。
そのためシーツとマットレスの間に敷く使い捨てシート(60 x 60cmくらい)や、大人用介護おむつや、
オットー用のサイズの使い捨て手袋などをネット注文し、配達されたあと義母宅に車で運びました。
『備えあれば、憂いなし』 ですもんね。
下痢もとい柔らかすぎる便の原因は、結局わかりませんでした。
義母は日中に服用した痛み止めを疑っているようでしたが、あれは本当によく出回っている、
お腹を壊すという副作用はないはずの痛み止めでした。
義母は朝から、ほとんど何も食べていなかったし・・・
よって、原因は不明です。
が、私たちは食中毒を疑っています。
94歳の義母、今回は2日間ベッドで過ごしたあと、また以前のように朝ちゃんと起き出して着替えるようになりました。
でもこれからは少しずつ、こんな不調の日が増えてくるのかも。
だからこそ、一日に一時間程度でもいいから、ヘルパーさんに来てもらえるといいんですが。
薬をちゃんと呑んでいるか、冷蔵庫に傷んだり腐ったりしたものがないか、毎日一回は温かい食事を取っているか、
などをチェックしてもらい、ちょこちょこと掃除をしてもらい、世間話の相手になってもらって。
ここで薬の説明を加えておきますと、義母は毎日朝と晩に服用する薬を、ブリスター・パックという一包化されひとつずつ封をされた
薄いプラスチック容器でもらっています。これは有料のサービスですが、呑み忘れを防ぐにはとても便利。(画像は資料画像です。)
さて義母は最近、薬の服用を忘れることが増えてきました。呑み忘れはブリスター・パックを見れば一目瞭然です。
でも義母は、オットーにブリスター・パックを見せられそう指摘されても、絶対に信じようとしません。
「あら、どうしてかしら?私は確かに呑んだわよ。おかしいわね~?」と。これも、『高齢者あるある』?
そのブリスター・パックを義母は、寝室のベッド脇に置いています。
オットーが「通りがかりにチェックできるよう、せめて(日中のほとんどの時間を過ごす)居間に置いたら?」と勧めても、
絶対に賛成しません。オットーが居間にブリスター・パックを移動し義母と話をしたあと居間に置き忘れて
そのまま帰宅したフリをしても、ブリスター・パックはしっかりまた寝室のベッド脇に戻されていました。
「私は絶対に呑み忘れしないから大丈夫」と。そしてまた呑み忘れます。
以前、今は亡き義父のためにヘルパーさんに来てもらっていたとき、義母はヘルパーさんの来訪を楽しみにしているようでした。
コントロール・フリークでモラハラのクソ野郎だった義父とでは、義母はまともな会話など滅多にできませんでしたからね。
ただ、「自分の」ヘルパーさんが義母と楽しそうに会話するのを見て、義父は嫉妬を感じていたフシがありました。
義母の小さな幸せを取り除くことを、まるで生き甲斐にしているかのようなクソ野郎でしたから。
最初は2時間お願いしていたヘルパーさんの来訪を1時間に減らしたのも、義父の意地悪と思われました。
だから義母は、独居の今、ヘルパーさんに来てもらうようになれば、絶対に楽しみにすると思うんですが。
しかしながら、せいぜい1~2時間しかいないであろうヘルパーさんには、洗濯を頼むのは難しそうです。
イギリスの洗濯機のサイクルは長くて、1時間半とか2時間とかはザラですから。
そして義母は、洗濯機も乾燥機も、自分では一切使おうとしません。
乾燥機は一旦裏庭に出ないとたどり着けない車庫に入っているから、歩行が覚束なくなっている義母には無理として、
なぜキッチンにある洗濯機を、今ならまだ自分でできるのに、使わないか。その理由は・・・
ずっと前に洗濯機から水漏れがしたとき、「お前の使い方が悪いからだ!」 と義父にさんざん怒鳴られたからです。
そのときの記憶が脳裏に焼き付いているのでしょうね。
3年近く前に義父がやっと笑天(←故意の誤字です)してくれたあと、義母はしばらくはまた、
洗濯機を使うようになりました。
でもその後、使うのが面倒になったのか、義父の憤怒を思い出して怖くなったのか、また使わなくなってしまったのです。
そのため半年ほど前から、車で小一時間離れたウスターに住む義妹が、
週一で義母を訪れて洗濯物を持ち帰り、やってくれています。
2kmの近距離に住む我家ですか?
う~ん、ゴメンナサイ、やりたくないです。
尿臭や大きい方の汚れが付いた寝具カバーなどは、とくに・・・。
かといって、義母の家にある洗濯機と乾燥機を使うとなると、洗濯機をスタートし、2時間後に戻って洗濯物を乾燥機に移し、
乾燥機をスタートしてまた2時間後に取り出しに行き、と3回も義母の家に行かなければなりません。
でも正直言って私、義母には、そこまでできるほどの敬愛の念を抱いてはいません。
理由は、子供たちが小さかったとき、暴君の夫が息子たちを叩くのを、見逃したからです。
オットーを始めとする、男・男・男・女だったオットーたち4兄妹。
男の子たちは父親に、理不尽で不当な理由で、しょっちゅう叩かれて育ったそうです。
たとえば父親が勝手に誤解して、息子が悪さをしたと思い込んだとき。
たとえば父親の虫の居所が悪かったとき。
父親が家にいるときは、家の中は常に緊張で空気が張り詰めていたそうです。
もちろん医者や病院での手当てが必要なほどにはぶたれませんでしたが。
それに義父は、妻と一人娘には手を上げなかったそうですが。
(というより一人娘だけは特別扱いで甘やかした。)
そんな過去を知ったときはドン引きしました。
だって義母は、息子たちを守ることより、結婚生活を続ける方を選んだのですから。
私だったら、自分一人で経済的に生活が成り立つかどうかなんて考えもなしに(オイオイ)、
子供を連れて飛び出していたことでしょう。
しかもフルタイムで小学校教師をしていた義母には、経済的には問題ありませんでした。
なのにその場では夫に抗議しても、結局は結婚生活を続け、62年間も添い遂げてしまいました。
一人っ子だったドイツ人の義父は、その父親も似たような性格のクソ野郎だったそうです。
が、幸いオットーたち3兄弟は、父親の性格を遺伝しなかったようです。
あんなクソ野郎を父親に持ちながら、3人が3人とも麻薬もやらず、警察の厄介になることもなく、
真面目に働いて税金を納める模範的市民になったこと、もはや奇跡では?
洗濯機の話からかなり横道に逸れましたね。
というわけで、いかに義母にヘルパーさん受け入れを承諾してもらうか・・・が、
我家の目下の課題です。
(高齢者あるあるですね。 )