私は非常勤で病院のヘルスケア・アシスタント(=介護ヘルパー)をしているわけですが、
クリスマスあとに思いがけず仕事が入らず、何と夢の10連休を家でまったり過ごしてしまいました。
ムスメも家にいたことだし、(ま、たまにはいいか~) なんて。
焦ったって仕方ない。 仕事が入らないときは自分ではどうしようもないのだから。
そこで、思いがけずできた余暇時間を利用して、すでに見たオットーが 「面白かったよ」 と教えてくれた動画を見ることに。
有名なジョンベネ殺害事件を検証し犯人を推理する番組です。
ほんと、なかなか面白かったので、これからしばらくジョンベネちゃん事件についてつらつら書いていこうと思います。
少しずつ書き進めていって、しょっちゅう加筆や訂正に戻って、次数制限がオーバーしたら一旦区切って次の部に続く。
という形式をとりますので、どうぞよろしく。
ジョンベネちゃんといえば、やはり何といってもきらびやか
なイメージがつきまといますよね。
何せたった6歳にして、美少女コンテストの常連で何度も優勝経験もあったのですから。
う~ん。 たしかにかわいい子です。
ただ私、こんな幼い子にお化粧や大人のような服装をさせるのには絶対反対! たとえ本人がこういうことが大好きで積極的に参加していたとしても。
お化粧なんて、大人っぽい服装なんて、15歳以上からで十分だと私は思う。 そんなに急いで大人の真似しなくたっていいの。
どうせ嫌でも歳は取るんだから! 幼いうち若いうちは、ありのままで十分かわいいんだから!
お化粧なんて、どうせ嫌でもしなくちゃならないときが来るんだから! (そう言う私はしてませんが・・・世間の迷惑をかえりみず。)
ジョンベネちゃん本人はこういうことが大好きだったという証言はあったけれど、それでもなぁ・・・・・
歌やダンスのレッスンや衣装の仮縫いや試着(お決まりの裁縫師がいたそう)やその他、私には思いつかない
あれこれに、貴重な子供時代の時間の多くが取られてしまったのではないかと思うと・・・・・
ミス・アメリカの夢を娘に託すことを決めた母親のパッツィーさんがジョンベネちゃんを積極的に後押ししていたようだけど、
なにも娘の年齢が一ケタのときから始めなくてもなぁ、と思う。 でもきっとアメリカではそれが普通なんだろう。
スタートで遅れをとりたくなかったら、幼児のうちから参加させるのが当たり前なんだろう。
・・・下左の画像はパッツィーさんが間に入っているからまだいいとして、下右は何?!
9歳と6歳の兄妹に、なに艶っぽいポーズと目つきさせてるの!?
これは私には、(キモチワルイ)というレベルなんですが・・・
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《 ここよりジョンベネちゃん以外は敬称略 》
ジョンベネちゃんの家族。
父親のジョン・ベネット・ラムジーは1943年12月7日生まれ。 (よって事件当時は53歳になったばかり。) ミシガン州立大学卒業。
軍務を経て1989年に Advanced Product Group 社を設立。 この会社は他の2社と合併して Access Graphics 社となり、
ジョンは社長に就任する。 1996年に同社は1億ドルを超える収益を上げ、ジョン・ラムジーは同社の本社がありラムジー一家が
在住していた都市でもあるコロラド州ボルダーの商工会議所から、『今年度の最優秀起業家』 に選ばれた。
私生活では1966年に結婚し3人の子供に恵まれたが、1978年に離婚。 1980年に13歳年下のパッツィー・プァーと再婚し、
2人の子供に恵まれる。 1992年に最初の妻との間に生まれた長女のエリザベス(1969-92年)を交通事故で亡くす。
次女メリンダ(1972年-)と長男ジョン・アンドリュー(1976年-)は健在。
ジョンベネちゃんはファースト・ネーム(JonBenét)に父親のファースト・ネームとミドル・ネームの混成語、ミドル・ネームに
母親のファースト・ネームをもらっている。
母親のパッツィー(パトリシア)・プァーは1956年12月29日生まれ。 (よって事件発覚当日は40歳になる3日前。)
ウエストバージニア大学でジャーナリズムを学び、学士号を授与されて1978年に卒業。
1977年度のミス・ウエストバージニアの栄冠に輝いた。
1980年11月5日、24歳の誕生日を翌月に控えてジョン・ラムジーと結婚。
1987年1月27日、ジョンベネの兄となる長男バークが誕生した。
ジョンとパッツィー / ジョン、パッツィーとエリザベス(1988年撮影)
1990年8月6日、ジョンベネ・パトリシア・ラムジーちゃん誕生。
翌年11月、一家は Advanced Product Group 社が本社を構えるコロラド州ボルダーに引越した。
ジョンベネちゃんの画像をググってみたら、美少女コンテストでないものもたくさん出てきました。 普通の女の子してるジョンベネちゃんが
新鮮でウレシイので、画像をたくさん貼っちゃいます。 (順番は適当です。 それと、プロのカメラマンによる写真も混じっています。)
下は1993年、ジョンベネちゃん3歳4ヶ月のときのクリスマスだそうです。
下中は1994年春の撮影。 前年7月に卵巣癌と診断され治療のため髪を失ったパッツィーさんにキスするジョンベネちゃん。
ジョンさん、多忙の身だろうに、家族との時間を大切にしてできるだけいいお父さんしていた様子がうかがえます。
下中は、ラムジー一家+ジョンの最初の妻との間にできた子供たち(次女メリンダと長男ジョン・アンドリュー)ではないかと。
犬が欲しかったジョンベネちゃんは1994年の夏(誕生日かな?)に犬を贈られ、ジャックと名づけてとてもかわいがっていたそうです。
下右は、事件“発覚”後にラムジー夫妻の要望に応じて駆けつけ(て、その結果犯罪現場を撹乱してしまっ)た友人のホワイト一家と。
こうして画像でジョンベネちゃんの短かった一生を振り返ってみると、大富豪のお嬢様として生まれて何不自由なく育っていたことと
容姿と才能に恵まれて美少女コンテストの常連であったことを除けば、両親に愛され守られて健やかに成長しつつあった
ごく普通の女の子だったことが実感できます。
(もちろん大富豪のお嬢様でなおかつ美少女だったというのはそれはそれでかなりすごいことですが、
別に珍しいことではないかな、と。 特にアメリカでは。)
(つづく)