《 ② からのつづき 》
= 事件から現在に至るまでの大雑把な経過 =
(事件の詳細は長たらしくなりそうなので、先に “その後” をやっつけちゃいます。)
1996年12月26日: パッツィー・ラムジー、コーヒーを淹れるため早朝に起床。 「キッチンへと降りる途中で “娘を誘拐した” という
脅迫状を発見し」、午前05:52、警察へ通報。 約7時間後の午後1時過ぎ、ジョンベネちゃんの遺体がジョン・ラムジーにより
自宅の地下室で発見される。
12月27日: 遺体の検死が行われる。
12月28日: 警察、ラムジー家全員の血液と髪のサンプルを採取する。 メリンダ・ラムジーとジョン・アンドリュー・ラムジー
(ジョンベネちゃんの異母姉兄)は殺人のあった時刻には遠く離れた土地にいたことが確認される。
12月29日: ジョンベネちゃんの葬式のため、ラムジー一家、ジョンが自ら操縦する自家用ジェット機でジョージア州
マリエッタに飛ぶ。
12月31日: ジョンベネちゃんの葬式が、ジョージア州アトランタの Peachtree Presbyterian Church で執り行われる。
ジョンベネちゃんはジョージア州マリエッタにある St. James' Episcopal Church Cemetery の、1992年に亡くなった
異母姉エリザベスさんの隣に埋葬された。
1997年1月1日: ラムジー夫妻、CNNのインタビューに出演し、自分たちの無実を主張。 ジョンは 「家族の誰かの仕業だと
疑われるなど、吐き気を催すほどに信じ難い」 と述べ、パッツィーは 「人殺しがうろついている」 と世間に警告する。
1月2日: ラムジー一家、ボルダーに戻るも友人宅に滞在。
1月3日: ボルダー警察は、脅迫状はラムジー邸にあったパッドの紙に書かれていたらしいことを発表。
1月4日: ジョンベネちゃんの頭蓋骨が折られていたことが明らかになる。
2月13日: ボルダー警察とボルダー郡地方検事アレックス・ハンターは記者会見を開き、「犯人は正義の裁きを受ける」
ことを誓う。 ハンター検事は専門家による特別捜査チームの結成を発表する。
アレックス・ハンター地方検事
( つづく )