ミュンヘンに出発する前日まで(!)住み込み介護ヘルパー(Live-in Carer)に転職して一週間働いた。
非常勤ヘルスケア・アシスタント(=介護ヘルパー)としての最後の病院勤務は、9月16日(日)。
新しい雇用主による住み込み介護ヘルパーに向けてのトレーニングは2日間で、それは病院勤務の合間に終えていた。でもいろいろと書類が整うまでけっこう時間がかかり、さらに一週間の見習いシフト(5時間のシフトを6回)もあったので、住み込みヘルパーとして働き始めたのは、ちょうどミュンヘンに行く前日までの一週間(10月13日~20日)になってしまった。
私が住み込み介護をしたのは、早期段階の認知症にかかっている、独居の96歳(!)女性。お名前はジーンさんとしておこう。ジーンさんは歩行補助器を使ってゆっくりながら自力で歩ける人だった。しかしながら、やはりお歳だけのことはある。すべてに時間がかかった。とくに一日一回の、朝食後の服薬!1時間以上かかることもあった。なかなか薬をのみたがらず、「今のむから」・・・ 「本当にのまなきゃだめなものなの?」・・・ (目を瞑ってこっくりこっくり・・・) 「もうのんだと思ったけど?これ本当に私のなの?」・・・ 「今にのむから、急かさないで」・・・ 「この赤いのは何のため?この青いのは?」・・・ (ふたたび目を瞑ってこっくりこっくり・・・) ・・・こんな調子。結局最後にはのんでもらえたけれど。
ジーンさん、小鳥のように少食なうえ飲物もほとんど残した。私が見習いをした先輩ヘルパーのアビー(仮名、若くて元気で体格もいい黒人女性)は「こんなもんでしょ」と記録にも「ジーンさんはよく食べよく飲んだ」なんて書いていたけれど、私は心配だったので正直に「あまり食べず飲物もまず飲み終えることがない」と書いた。私がサポート・ワーカーをしていた頃と時代は変わり、今はスマホでその日の仕事の記録をつけるようになっていて、私も遅まきながら去年の夏(!)にスマホデビューしていて本当に助かった。
ジーンさんの動作はそれはゆっくりですべてのことに若者の10倍から20倍の時間がかかるけれど、たくさんの患者さんに目を配らなければならない病院と違い、介護の対象はジーンさんひとりきり。これなら私にもできそうだと思った。WiFiがないのだけが悲しかったけど。私はいちばん安い月額5ポンドのマンスリー・プランでスマホを使っているので、モバイル・データを使いすぎて超過料金をとられないよう、ミュンヘン行きも控えていたことだし、毎日短時間しかネットを使わず節約に励んだ。
居間の座り心地のよい肘掛け椅子に落ち着いたジーンさんがうたた寝を始めたら、洗濯や掃除やアイロンがけ。私は貧乏性で他人がした掃除は信用できない性質なので、順繰りすべての部屋の家具のホコリを拭き、すべての部屋に掃除機をかけていった。動かせる家具は動かしてその裏まで。そんなこんなで、(きっとヒマな時間を持て余すだろうな~)と思い持参した本を読む暇なんて、結局なかった。でも(そのうち要領を覚えれば、読書する時間もできるのだろう)と鷹揚に構えていた。
夜間の介護はといえば、トイレに起きたジーンさんは自分でトイレを使えるから、「トイレを流す音が聞こえたらジーンさんをベッドに誘導して床に入るのを手伝えばよい」と先輩に聞いていた。そうして最初の2晩は、言われた通りにトイレ後のジーンさんがベッドに戻るお手伝いをするだけでよかった。
3晩目・・・というか翌朝6時過ぎだったが、それは起こった。声がするようなので(スタッフの寝室はジーンさんの寝室から一番遠い)行ってみたら、ジーンさんはベッド脇の床にぺたりと座り込んでいた。まず四つん這いになってもらい、その姿勢から椅子を使って起き上がってもらおうと励ましたが、自力では四つん這いはもちろん横向きになることすらできなかった。下半身が大柄なジーンさんを助け起こすことは私には無理だし、第一「本人が自力で起き上がれない場合は救急隊員を呼ぶ」のが原則なので、ジーンさんが寒くないよう身体を包み、ベッドに寄りかかれるよう背後に枕やクッションをあてがい、緊急番号に電話した。この日は1時間ほどで来てくれ、2人の救急隊員がジーンさんをチェックし、負傷や痛みがないことを確認の上でジーンさんを助け起こし、トイレ(寝室と続き部屋になったジーンさん専用のバスルームの)に往復するジーンさんの歩行動作を観察したうえで「病院搬送の必要なし」と判断して帰っていった。ジーンさんはその後しばらく眠り、ちょうどいいチャンスだったので私はシャワーを浴びた。
資料画像です。ジーンさんが痛がるので私はこんなこと も何もできませんでした。
4晩目は、午前3時過ぎにトイレに行ったジーンさんを20分余り介護。なかなかベッドに戻りたがらず、箪笥の引き出しを開けて中のものを確認し始めたため。夜だからベッドに戻るようにと促すと怒り出すのでじっと我慢、立っていることに疲れるのを待った。
5晩目は深夜の、午前2時10分のことだった。助けを求める声がしたので行ってみたら、ジーンさんはまたベッド脇で床の上に、今度は仰向けになっていて・・・ 膝を立てることすらできず腰の痛みを訴えるので救急隊員を呼んだが、生死を左右する緊急性はないためだろう。到着したのはなんと、午前6時50分。ジーンさんを毛布でくるみ、私も傍に座ってひたすら救急隊員を待った。ジーンさんは救急隊員到着後も腰の痛みを訴えたため、念のためにと病院に搬送された。幸い付き添いは頼まれなかったので、寝不足だった私は眠ろうと試みた。でも近所で住宅建設中のため騒音で眠れず。午前9時半に病院から電話があり、ジーンさんに骨折などの別状がないので搬送の手配がつき次第帰宅できるとのこと。それでもう眠ってもいられなくなり、掃除をしながらジーンさんの帰宅を待った。帰宅は午後12時20分。シリアル(ジーンさんの希望で)を食べてもらい、説得を重ねて薬をのんでもらうと、ジーンさんは肘掛け椅子でうたたねを始めた。やがて目を覚ましたジーンさん、ベッドで休みたいと言うので一緒にベッドに向かったのだが、途中で普段は使わない玄関脇のバスルームのトイレを使うと言い出し、中に入ると私を閉め出した。このバスルームはスタッフが使うバスルームなので私の歯ブラシやら何やらが並べてあったのだが、トイレを終えたジーンさん、急にせん妄状態に陥り、自分のバスルームに私の物が並べてあるのはけしからんと床に落とし始めた。私があわてて自分の物を集め自室に移動すると、今度は怒りの矛先をキャビネットの中味に向け、そこにはジーンさんのものしか入っていなかったのだが、中味を床に散らばし始めた。止めれば怒りに油を注ぐだけと思ったので自由にさせておき、あとで拾ってキャビネットにしまった。バスルームから出てきた頃にはジーンさんは別人のように元通りになっていて、すんなりベッドに入って休んでくれたので、私も2時間の休憩(一日2時間はジーンさんを一人おいて外出して良い)に出、カフェで休んだ(参:『最悪の日』←この記事を書いたのは翌日でしたが)。帰宅後、起きたジーンさんに夕食を出し、居間で一緒に過ごし、就寝の介助をしたが、ジーンさんの気分にムラがあり、とても疲れる一日だった。
資料画像です。病院勤務ならすぐに助けが駆けつけてくれて心強いんだけど。
6晩目は朝の午前4時10分だった。また助けを呼ぶ声に起こされ、行ってみたらジーンさんが、みたびベッド脇の床に、今度も仰向けになっていた。みたび救急隊員を要請。2人の救急隊員(いつもペアで来る)が6時40分に到着、病院搬送の必要はないと判断され、ジーンさんは7時40分に床に戻った。私はどうせ眠れないので家事をし、9時を回ってからオフィスに3度目の転倒の報告をした。その頃には私も寝不足で参っていたので正直にそう訴えると、11時から17時まで、手伝いのヘルパーさんを寄越してくれた。せっかくなので眠ろうと試みて少しうとうとできたが、オフィスが手配したお医者さんがお昼過ぎにジーンさんの診察に来たのでまた起こされ、そのまま起きた。ジーンさんは11時半頃起きて手伝いヘルパーさんに着替えを介助され(洗顔は拒否)、朝食を終えたところだった。往診してくれたお医者さんは尿路感染症を疑い、「採尿用の容器を診療所まで取りに行くよう」指示してきた。お手伝いヘルパーさんがいてくれて安心だったので、2時間の休憩で散歩に出るついでに私が診療所から容器をピックアップした。でも土日は診療所は休みだから、「採尿は月曜日にしてすぐにサンプルを診療所に持ってくるよう」指示された。ジーンさんはその晩も、機嫌がよかったりぴりぴり苛立ったりと気分ムラが激しかった。最後の晩は幸い転倒せずに済んだが、こちらはもう神経過敏になってしまっていたのでもともと浅い眠りはさらに浅く、少しの音でも目が覚め、ジーンさんがあまりにも静かなので何度か様子を見に行って呼吸を確認したりした。 翌朝11時に、一週間のお休みを満喫してきたアビー到着。月曜日の採尿を頼むなど申し送りをして帰途についたが、高速道路運転中に眠気が襲ってきて参った。・・・
あれが住み込み介護なら、私には無理!
私は11月5日(月)からの一週間(=今週)にもジーンさんの住み込み介護の予約が入っていたが、ジーンさんの介護に戻る気はすっかりなくなっていたので、帰宅後すぐにオン・コールのシニア・スタッフに電話(土曜日だったため)して、予約をキャンセルした。ミュンヘン行きのあとにまたジーンさんのところに戻ると思っていては、ミュンヘン行きを十分楽しめないと思ったから。
一週間のミュンヘン滞在を楽しみ、28日(日)帰宅。29日(月)さっそくオフィスから電話があり、すぐにオフィスに顔を出した。上司のドナ(仮名)は「あなたは何ひとつ間違ったことをしなかった」「私だってまったく同じことをしただろう」「ジーンさんはたまたま体調が悪くなるところで、そこに偶然初めての住み込み介護に入っただけ」「ジーンさんは先週も転倒して救急隊員のお世話になった、その後往診してくれたお医者さんの判断で救急車が呼ばれ、24日(水)から入院中」などなど、言葉を尽くして慰めてくれた。ジーンさんが入院したと聞き、私も(私のせいじゃなかった・・・)とようやく肩の荷が下りた。その後ジーンさんはけいれん発作を起こしたり、右脚にできた血栓が破裂し内出血したため手術を受けたり、血中酸素濃度が低すぎて酸素吸入をしたりで、未だ入院中。昨日で満2週間だった。何せ96歳だから、退院し帰宅できる可能性は、今の状態ではかなり低いかもしれない。
資料画像です。病院なら、有資格ナースにチェックしてもらって怪我がなければ吊り上げ器械でベッドに戻してあげられるんだけど。
というわけで、初めての住み込み介護はさんざんな結果に終わった。7晩中3晩も転倒って!毎回ベッド脇の床に落ちたようだったから、おそらくジーンさん、トイレに行こうとベッドを出ようとしてそのまま滑り落ちたのではないかと思う。
アビーに転倒のことを話すと、「私のときもあったけど、ジーンさん椅子にすがって自分で立てたわよ」と。でもそれはとてもじゃないが信じられない。あのジーンさんの様子を見ていたら、ジーンさんが横向きから四つん這いになって、自分で椅子にすがりながら立つなんて想像できない。これは私の勘ぐりだけれど(そしてドナもその可能性を示唆していたけれど)、アビーは自分でジーンさんを助け起こしていたのではなかろうか。私が介護に入って急にジーンさんの動作能力が衰えたとは信じ難いもの。あくまでも私の勘ぐりだけど。
アビーにジーンさんのせん妄のことを話すと、それについても「そうそう、そうなのよ。だから私も私物はできるだけ寝室に置くようにしているの。言うの忘れちゃってたわね、ごめんなさいね~。」 ・・・忘れないでよぉ~まったく!
病院に掲示してあるこういうの を見ているものだから、転倒を理由に救急車を呼ぶのって、気が引ける・・・
住み込み介護を続けるかどうか?・・・については、気持ちは半々。私は心配性なので、たとえ被介護者さんがうたたねをしていても、気になって読書に集中したりはできない気がする。先輩のアビーは常にスタッフの寝室にあるテレビはつけっ放しだったし、ジーンさんが落ち着いているときはスマホで私用の長電話をしたりしていたけれども。でも慣れれば大丈夫かもしれない、私も余裕がでてきて自分のために時間を使えるようになるかもしれない。(一日の労働時間は8時間で計算されているので、2時間の休憩時間以外にも自分のために使っていい時間があるのです。)そんな心境なので、もう一度だけ別の被介護者さんのお世話を、やってみようと思っています。といっても住み込み被介護者は先月まではジーンさんのみ。今月からもう一人増えるとの話だったので、今はその被介護者さんの介護が始まるという連絡待ち状態。上司のドナには「ジーンさんの介護に戻る気はない」ことははっきり伝えました。理由?出だしが悪すぎたからだけではなくて・・・
ジーンさんの寝室と続きになったバスルーム。バスタブはなくてシャワーがあるのですが、シャワーの位置が高いため背が低い私はシャワー・キュービクルのふちに立たないとシャワー介助ができない!(ちなみにジーンさんは一度シャワー・キュービクルに入ると左手にある手すりに両手でつかまってまったく動かないので、髪と背中とお尻と脚しか洗えません。したがって前面は、シャワーから出てから洗面台の前で補助椅子に腰掛けてもらって介助することになります。さらに、シャワーがパワフルすぎ!!はね返りで私もびっしょりになりました。でも水圧を弱めると温度も下がってしまうので、それはできず・・・
それから、スタッフが使うほうのバスルームの栓。お湯と水の栓を調節して適温にするわけですが、水の水圧がパワフルすぎ。お湯を出してから水を加えて調節しようとしたけれど、水をほんの少しでも加えようものなら完全に冷水になってしまう。適温になるまでに数分を要し、私が働いた一週間は例年になく暖かい一週間だったからよかったものの、冬になったらとてもじゃないがあんなシャワーは使えない!!アビーはもちろん同じ意見だったし、もう一人の同僚など「あんな馬鹿げたシャワーはかつて見たこともない!」と怒っていたそうです。ジーンさん(未亡人)の家族にはもちろんそう訴えてはいますが、「古いシステムなので修繕するにはシャワー機器から配管まですべてを交換せねばならず大仕事になる」と消極的な対応だそう。 ・・・自分が一番大事な私にはダメ。風邪をひく危険を承知で真冬にこんなシャワーを使うなんて嫌です。シャワーヘッドも古いらしく、手首の方に2本も水が飛んでくるので使いにくいったらありゃしないし!
これはオマケですが、掃除機を使おうとしたらどうも吸入が悪い。
調べてみたらダスト・コンパートメント(塵が溜まる容器部分)のフィルターがきちんと取り付けられていなくて、溜まるべきでないところに塵が溜まり、もうこれ以上吸い込めない状態になっていたのでした。 アビー・・・しっかりしてよねっ!!
というわけで、現在は専業主婦している私です。でもこれは、ムスメがロンドンの賃借部屋に引越すまでは都合のいい状況。引越し先が決まったら、一時的に引き上げてきてあるムスメの私物をまた車で運んでやらなきゃなりませんから。
そしてようやく、ムスメの引越しが実現しそうです!3日後の11日(日)、Remembrance Sunday に。
今年は第一次世界大戦の終結からちょうど100周年。しかも終結した(=事実上の終結をもたらした休戦協定が結ばれた)11月11日がちょうど日曜日だから、よけいに感慨深い。引越しで忙しいけど、午前11時になったとき、できれば黙祷を捧げたいと思います。
ムスメが友人の母君シーラのお宅に居候して、早や2ヶ月以上。クリスマス前に引越せそうで、本当に良かったこと
(あ、喜ぶのはまだ早いか )