1973年4月13日金曜日、ウスター市レインボー・ヒル地区ギラム街の住宅で、幼い3兄妹が惨殺された。
被害に遭ったのは、クライヴ・ラルフとその妻エルシーの間に生まれた3人の子供たち。
ポール(4歳)、ドーン(2歳)、サマンサ(7ヶ月)。
クライヴはトラック運転手として一家を支え、エルシーも事件の少し前からパブで働き始めていた。二人が仕事で家を空けている間は、クライヴの旧友で当時ラルフ家に下宿していたデイヴィッド・マクグリーヴィー(1951年生まれ、当時21歳)が3兄妹の子守をしていた。
1973年4月13日(金)。酔うと暴力的になることで知られていたマクグリーヴィーは、友人とパブに出掛けた。そこで彼は、5~7パイント(2.8~4ℓ)のビールを飲んだ。二人はカードで遊びダーツをしたが、帰る少し前にマクグリーヴィーが友人のビールにタバコを投げ込んだため諍いが起こった。
クライヴは、家から3km強離れたパブで働くエルシーを閉店時間に迎えに行くことを習慣にしていた。その晩クライヴは、マクグリーヴィーをパブに迎えに行って家に連れ帰り、自分が留守になる間の子守を任せてエルシーを迎えに行った。子供たちは全員がすでに眠っていた。エルシーのパブでクライヴはいつも通り一杯ひっかけたあと店仕舞いを手伝い(イギリスでは法定制限内の量なら運転前の飲酒OK)、エルシーと一緒に帰途についた。
その晩ラルフ家の隣人は、異常な物音を不審に思い、警察に通報。警官が駆けつけてみると、ラルフ家には誰もおらず、屋内は血まみれになっていた。帰宅したクライヴとエルシーは待ち構えていた警官に最寄の警察署までエスコートされ、そこで彼らの留守中に何やら事件が起きたらしいことを聞かされた。
午前1時20分。
子供たちの姿を求めて裏庭を捜索していた警官が、裏庭の尖った鉄柵に並べて突き刺さっていた彼らの遺体を発見した。
ポール(4歳)は絞殺され、ドーン(2歳)は喉を搔き切られ、サマンサ(7ヶ月)は殴殺されていた。
3人の遺体はつるはしとカミソリを使って損壊されたのち、鉄柵に突き刺されていた。
午前3時過ぎ、ラルフ家の近所の路上を歩いていたマクグリーヴィーが、警察に逮捕された。
マクグリーヴィーは逮捕直後は犯行を否認したが、数時間後には自供。3幼児の殺害動機は、ミルクを欲しがったサマンサ(7ヶ月)が泣き止まなかったことだった。
かっとなったマクグリーヴィーは、サマンサをまず殺害。まだ眠っていたドーンとポールまで続けて殺害すると、地下室に下りてつるはしを持ち出し、それとカミソリを使って3遺体を損壊。さらに遺体をひとつひとつ裏庭に運び出し、鉄柵に並べて突き刺すと、夜の闇の中へと出て行った。
1973年6月28日。マクグリーヴィーが罪を認めたため、刑事法院における彼の聴聞は、わずか8分で終わった。
彼は『最低禁固期間20年の終身刑』を宣告された。
彼が犯した殺人の異常な残忍性により、マクグリーヴィーは 『ウスターの怪物(Monster of Worcester)』 あるいは 『真の13日の金曜日キラー』 と呼ばれるようになった。
デイヴィッド・マクグリーヴィーは6人兄妹の2番目として1951年に誕生。1967年に義務教育を終えてイギリス海軍に入隊したが、1971年に酒に酔って上級士官用食堂室でボヤを出したため除隊され、ウスターシャーの両親の家に戻った。いくつかの仕事に就いたものの自信家で傲慢な態度と酒好きが原因でクビにされ、婚約者(4ヶ月間の文通の末に初めて会い、その一週間後にふたたび会ったときにプロポーズした若い娘)にも去られた。父親に酒をやめるよう言われても耳を貸さず、働かずに酒に溺れる彼に愛想をつかした両親は、彼を家から追い出した。
1972年、両親の家から蹴り出されたマクグリーヴィーは、旧友のクライヴ・ラルフとその妻エルシーの家で下宿を始めた。クライヴとエルシーは学友で、クライヴの方が5歳年長、1968年9月に結婚したとき、当時16歳のエルシーはすでに妊娠していた。彼らには2人の子供――1968年生まれのポールと1971年生まれのドーン――がいて、マクグリーヴィーが転がり込んだとき、エルシーはサマンサ(1972年9月生まれ)を身ごもっていた。サマンサが生まれ、2寝室の小さな家は6人の大所帯になった。マクグリーヴィーはポールと寝室をシェアし、残る家族はもう一寝室で寝起きした。
エルシーが後日テレビのインタヴューに応じて語ったところによると、当時マクグリーヴィーは工場で働いており、週6ポンドの下宿代を払っていた。ときどきサンデー・ディナーを料理し、子供たちの世話もよくしてくれ、近所では『知ったかぶりをするのが好きで酒癖は悪いが子供好きの無害な男』と見られていたという。
2006年、マクグリーヴィーがオープン・プリズン(Open prison:社会復帰に向けて囚人の外出が許されている刑務所)に移されたあとリバプールの前科者用ホステルに住んでいることがザ・サン紙にすっぱ抜かれ、その結果マクグリーヴィーは“閉ざされた”刑務所に戻された。
事件当時の面影はまったくない、2006年のマクグリーヴィー
2009年。マクグリーヴィーの仮釈放審査が進む中、彼は「自分の仮釈放の要求が公にされると自分の命が危険にさらされるため人権侵害に当たる」として、匿名性を要求。
これを受け入れた高等法院は、彼の今後の動向は一般市民には非公開とするべし、とのお達しを出した。
これに英国の報道者連合は猛反発。当時の司法長官も「そのような前例を作ってしまうと、今後危険な犯罪者の動きを追えなくなりかねない」と反対したため、2013年5月21日、高等法院のお達しは撤回された。
マクグリーヴィーの仮釈放申請も却下された。
ところが今月4日。マクグリーヴィー(現在67歳)の仮釈放が決定した。
マクグリーヴィーの仮釈放審査を進めていた仮釈放庁(Parole Board)は、口頭聴聞の結果、
「事件から45年経った現在の彼は以前とは別人のように変わっており、もはや社会に脅威を及ぼさない」と判断し、
仮釈放にゴーサインを出した。
「彼は自己抑制を学び、自分に内在する問題を深く理解するようになった。
心理学者は彼が再犯を犯す可能性は極めて低いとの結論を下した。」
司法長官には、彼の仮釈放を止める権限はない。
仮釈放申請が可能になったのが、事件後20年だった25年前。
これまでの申請は、前回の2016年のものを含め、すべて却下されてきた。
しかし今回とうとう、彼の仮釈放が認められた。
現在サフォーク州のワレン・ヒル刑務所(HM Prison Warren Hill)にいる彼はクリスマスのあと出所し、
前科者用の住居に移るという。
仮釈放庁によると、彼は『厳重な監督下に置かれ、現在地を知らせるGPSタッグを装着され、門限や立ち入り禁止区域が課される。
被害者の遺族に近づくことも、もちろん許されない。精神医療セラピーやカウンセリングは今後も続けて行われる』。
3兄妹の両親・クライヴとエルシーは、事件後まもなく離婚した。
エルシー(現在68歳)は事件から半年後に薬の大量服用により自殺を図ったという。
その後再婚した彼女は現在はウスターから遠く離れて住むが、事件のことを忘れた日は一日もない。
「あのけだものが私の子供たちにしたことは、ムーアズの殺人犯たちが彼らの犠牲となった子供たちにしたことと同じくらいに残酷だった。
なのになぜ彼は出所を許されるの?イアン・ブレイディーとマイラ・ヒンドリーは終身収監されていたのに?
私のベビーたちはひどい苦痛の中で息絶え、身体を損壊され、裏庭の鉄柵に串刺しにされたのよ!
私は彼に死んで欲しかったわ、私の子供たちと同様に苦しんだ末にね。
彼が終身刑となって一生を刑務所で過ごすと言われて安心したわ。
今回だって、彼が決して釈放されることのないよう手紙で懇願したの。それなのに――とうとう裏切られたわ。
私の悲しみは一生続くのに、彼は刑期を務め上げたと仮釈放庁が決められるというのはどういうことなの?
私は毎晩目を閉じて眠ろうとするとき、子供たちの顔を見るわ。
彼は私の人生を奪った。私は家族のパーティーには行けなくなったし、何を祝うこともできなくなった。
私の立場に自分を置いてみて下さいな、どんな気持ちになりますか?
前に進むことはできないし、これからもできないでしょう。
彼に値するのはたたひとつ――彼が私の3人の子供たちにしたのと同じ――死です。」
* * * * *
義妹一家が住むウスター市で、過去に――45年も前に――こんなひどい事件があったとは・・・。
ギラム・ストリートをサーチすると、一部ストリート・ヴューでは近づけない区域がありました。おそらくその部分に事件の舞台となった家があるのでは。
湊伸治の再犯について書いたあとで鬱々としていたら、ここイギリスでも同様の不正義のニュース・・・。
加害者の更生と社会復帰に重きをおくあまり被害者やその遺族が軽視されていることに憤りを覚えます。
仮釈放庁はマクグリーヴィーがもはや社会にとって脅威でなくなったために釈放を決定したとしていますが、
そして一般大衆の安全は常に最優先であるとしていますが・・・
The Parole Board said:
“We can confirm that a panel of the Parole Board has directed the release of David McGreavy following an oral hearing.
Parole Board decisions are solely focused on whether a prisoner would represent a significant risk to the public after release.
Public safety is our No1 priority.”
・・・ちょっと待った!
刑務所暮らしというのは、犯した罪に対する罰であることが基本では?
3幼児を惨殺するという、取り返しのつかない事をしてしまった。失われた命は、もう二度と戻って来ない。
だからその罪をつぐなうために、自由を奪われて囚人生活を送るんですよね?
だったら、『社会に害を及ぼしそうにないから』 なんていう理由で、3幼児を惨殺した男を釈放なんてするな!!
『犯した犯罪の償い・罪滅ぼしのために』 『罰として』 生涯収監しておけっ!!
それでなくてもイギリスにはもう死刑はないのだから。
終身刑で命が助かるだけでも儲けものなのだから。
死刑制度を廃止するは、こんな男の仮釈放を決定するは、・・・
日本のみならずイギリスまでもが、被害者を軽視して加害者を優遇する傾向にあることに、
心の底からの怒りと危惧をおぼえます・・・