オットー母は、バーミンガムの大学で教師の資格を取り、小学校の先生をしていました。
友達に誘われてチェルトナムの『国際友好クラブ』の会合に参加し、オットー父と知り合っ(てしまっ)たそうです・・・。
「なんでお父さんと結婚したの?」と子供たちに訊かれると、オットー母は、
「お父さん、あれでも昔は優しかったのよ。ロマンチックなところもあったし。」
と答えたそうです。
でも子供たちは、誰も信じませんでした。(私も信じません。)
「お父さんを狙っている女性は、他にもいたのよ。」
(その女性に譲っておけばよかったのに・・・)
男も女も、多かれ少なかれ結婚前は、ネコをかぶって “地” を隠し、自分を実際より良く見せようとするのでは。
だから、結婚してから「こんな人だとは思わなかった!」というのはよくあること。
問題なのは、その『こんな人』の程度です。
不満に思う点を相手に伝えて、話し合って、妥協点を探して見つけて、合意のもと許容範囲内に収められれば、結婚生活は継続できます。
そうなるのが一番ですが、それができない場合は、道はふたつにひとつ。
『こんな人』ぶりに目を瞑って我慢することで、結婚生活を続ける。
あるいは、
『こんな人』ぶりがひどすぎて耐え難く結婚生活を継続できないため、離婚する。
オットー母の立場に放り込まれた女性は100人中99人が後者=離婚を選ぶでしょうが、
オットー母は、前者=我慢を選んだわけです。
そして、我慢に我慢を重ねた人生を歩んできました。
普通の女性ならまず耐えられないであろう扱いや、精神的・言葉の暴力も甘んじて受け止めて。・・・
オットー母は、なぜ離婚しなかったのでしょうね。
子供たちのため?
でもそれなら、子供たちが成長し全員が家を離れた時点で、夫とは別の道を歩むことができました。
退職して隠居生活に入る時だって、離婚して財産を半々にすれば、小さな家を買って平穏に暮らせたはずです。
オットー母は子育てしながらフルタイムで教師の仕事を続けたので、十分な年金収入がありますから。
ひょっとしたら、気立てのいいやもめ男性と出会って、再婚して、日帰りドライブやホリデーを楽しめたかもしれません。
でもオットー父に従属する人生を選んだので、隠居後も外出といえば運転できる女友達とのドライブや、婦人会のお出掛けくらいのものでした。
オットー父はホリデーにはまったく興味がなく、買物を除けば趣味のサボテン関連のイベントのためしか、外出・遠出はしませんでしたから。
私、これまで、折に触れて空想してきました。
オットー母がこの世を去り、天国の門に行き着いたとします。そこには、なつかしい愛する母親が待っています。
母親は微笑みながら、オットー母に優しく尋ねます。
「幸せな一生だった?」
以前の私は、さすがのオットー母も母親には偽りを言わず、わっと泣き出して、
「お母さん聞いて!ひどい夫を選んでしまって、苦労の連続の一生だったの!夫選びを間違ったわ!」
と涙ながらに訴えるだろう。と思いました。
でも近年は、考えを変えました。オットー母は母親にすら、
「平穏で幸せな一生だったわ」と、偽りでなく心から、言うような気がしています。
暴君夫に添いつづけるオットー母のこと、昔は私、ただただ忍耐強く寛大な心の持ち主なのだと思っていました。
でも今は違います。おそらくオットー母は、オットー父と暮らすうちに、一人では生きられない、
依存症体質になってしまったのだろうと思っています。
オットー父といれば、何でも勝手に決めてくれ、自分では考える必要がなくなりますからね。
何か不都合が起これば、それはすべて自分のせいにされて怒鳴られるというマイナス面はあるものの。
そしてそのマイナス面は、普通の女性には十分な離婚の動機になりますが、オットー母は、
耐え忍んで生活を続けるうちに、オットー父なしの生活が考えられなくなってしまったのでは。
自分の置かれた状況が客観的に見られなくなり、それが異常だと感じられなくなってしまったのでは。
オットー母の8日間の入院中、オットー父が自分から「母さんの様子はどうだった?」と
お見舞に行ってきたオットーに訊くことは、終わりの方で一度だけしかありませんでした。
最初の頃は気にもかけていないようだったけど、一度も訊かないと子供たちのひんしゅくを買うとの計算が働いたのでしょう。
対照的に、オットー父が救急車で運ばれたり入院したりしたときの、オットー母の心配ぶりときたら。
朝と午後に病院に電話して状況を訊き、退院の気配があればすぐオットーに電話してきます。
退院の気配がなくても、「お父さんのことが心配でたまらないの」とオットーに訴えるためだけに電話してきたりも。
家に一人でいるという状態に耐えられないようです。
帰ってくればまた、自分にガミガミ怒鳴りつけるだけ、いいとこなしの暴君夫なのに。
8日間の退院から戻ったオットー母は、退院翌日と翌々日は、抗生物質の点滴静脈注射をしてもらいに、
夕方病院に行かなければなりませんでした。オットー父が転倒により足首の腱を切っていて運転できないため、オットーが運転して付き添って。
1時間も(!)かかる注射なうえ待ち時間も長かったので、ドアtoドアで最初の日が3時間半、2日目は5時間もかかったそうです。
父親抜きでゆっくり母親と話せるいい機会だったので、オットー、母親に、今後どうしたいかをはっきり訊いてみたそうです。
もし日常生活に不自由するようになって、それを重荷に感じる夫(=オットー父)にことごとく文句を言われ八つ当たりされ怒鳴られたら、
一人で養護施設に移る意志はある?
オットー母は、入院して最初の数日はなかなか自分の足で立てませんでした。
それを聞いたオットー父、オットー母を厄介払いするまたとないチャンスと思ったようです。
「母さんが自力で歩けないなら、ワシには面倒は見れんからな!施設に行くしかないな!」と。
それを聞いた義妹②、末っ子で一人娘でオットー母ととても近い義妹②は、それまでは父親をあからさまに
悪く言うことは控えていたのですが、とうとうオットーと同じことを言ったそうです。
“He's a real bastard, isn't he!?”
入院数日後、オットー母が少しずつ歩けるようになったと聞いたオットー父は、なぜかその翌日、
オットーが買物のサポートのため訪ねたところ、「呼吸が苦しい」と訴え、即医者に連れて行くようでした。
待合室に入ったら普段通りに呼吸していて、医者にも特に何もされずに帰されたそうです。
オットーは、あれは父親の演技だろうと疑っていました。
『どうだ、ワシは病人なんだから、母さんの面倒は見れんからな~!』 アピールをするための。
なのでオットー母が本当に退院して帰宅できるとなったらどうなるかと心配していましたが、
わりと急に退院が決まり、オットー父でなくオットーのところに病院から連絡があったため、
「母さん退院できるそうだから、今から迎えに行くから」と父親に電話だけしてオットーが病院から母親を
連れ帰ったものだから、反対する間もなかったというか。まぁその頃までにはオットー父も、オットー母が自分で歩けて
それまで通り掃除や洗濯をするのなら、その点は便利だと思い直していたフシもあります。
オットー父は低血圧症で、すぐにふらついて気が遠くなりかけるため、これまで何度救急車のお世話になったことか。
家で頭がふらつくと、椅子にうずくまってぐったりして口をきかなくなるようです。
オットー母がどうしたのかと訊いても、一切返答はなし。
それでオロオロ心配したオットー母が救急車を呼ぶと、到着した救急隊員に向かってはじめて、
昨日の朝から胸が苦しかっただの、数日前から腹痛があっただの、オットー母には一言も言っていなかった
それまでの症状を話すそうです。念のため病院に搬送されることになり、オットー母が
「病院泊用のバッグは念のため持っていく?スリッパは?」などと訊くわけですが、そんな妻に対しては、
「持っていくに決まってるだろうが!スリッパもだ、わかりきったことをなぜ訊く!?」
と頭のてっぺんから怒鳴りつけるので、一度オットーも居合わせたときは、びっくりした救急隊員が
(大丈夫ですか?ひょっとして転倒して頭でも打ってるとか?)みたいに目で訊いてきたので、
オットーは小声で「大丈夫です、普段通りです」と応えたそうです。
ここで、先ほどのオットーの、母親への質問の返事をば。
もし日常生活に不自由するようになって、それを重荷に感じる夫(=オットー父)にことごとく文句を言われ八つ当たりされ怒鳴られたら、
一人で養護施設に移る意志はある?
オットー母の答えは、“No” でした。
「あなたには信じられないでしょうけど、私はまだお父さんを愛しているのよ」 と・・・。
(はい!信じられませんっ!! )
オットー母は、最後の最後まで夫といたいそうです。たとえ夫の方で、自分を厄介払いしようとしていても。
子供たちは皆、人生の最後の最後に母親に、夫ヌキの平穏で心安らかな生活をしてもらいたいと願っているんですが・・・
本人の願いがそこにないなら、子供たちにできることは何もありませんね・・・。
昔『バニラ・スカイ』という映画がありました。オリジナルはスペイン映画で、トム・クルーズ主演でリメイクされたやつ。
あの中で主人公は、自分が現実と信じていたものが実はそうでなかったと知るわけですが、
自分が幸福であるうちは、それが現実であろうが夢であろうが、幸福なことに変わりはありません。
オットー母も、ちょっと、そんな状態かな?と思います。
周囲にはどんなに不幸に見えようと、本人が幸福であるならば、あるいは幸福と信じているならば、幸福。
周囲にできることは、何もないのです。
ここ半年ほどで、オットー両親の老衰は急激に加速しました。
オットー父が車のハンドルを握ることは、もう二度とないかもしれません。
その方が有難いんですけどね、何せ93歳ですから。
事故を起こして自分だけが笑点(←ふたたび意図的な誤字です)するならいいんです。
でも他人を巻き添えにしてしまったら? 最悪子供の未来や命を奪うことにでもなったら?
想像だにしたくない。もう二度と運転して欲しくないです。世のため人のために。
しつこいようですが、オットー父は、自分が絶対に正しい人。
若い頃から前を走る車に接近しすぎる煽り運転を習慣とするので、オットーは父親の運転する車に乗ることを嫌い、
できるだけ避けるようにしていました。とくに未来のあるムスメのことは、父親の車には
できうるかぎり乗せませんでした。
私は先週、半日だけ、オットー父がオットーの運転で病院に行っていたとき、オットー両親宅の掃除を手伝いに行きました。
オットー母は居間で静かに座っているだけなので、「テレビでもつけたらどうですか?」と訊こうとのぞいたら、
オットー母、こっくりこっくり居眠りしてました。3時間近くも、ずっと。
それを見て、(今後の1年間に、大きな変化が訪れるかも・・・)という予感がしました。
オットーたち4兄妹は全員が、父親に先に笑点してもらいたいと思っているのですが・・・
夫に先立たれたら、オットー母は、それは最初は悲嘆にくれるでしょう。
が、入院中に平穏を楽しんだと同様に、時が経つにつれて大丈夫になるような気がします。
一人でいたくなかったら養護施設に入ればいいし、誰とでも気軽に容易に話せるオットー母のことだから、
他の入所者さんとの交流を楽しむんじゃないかと思います。
オットー母が先に笑点しオットー父が残されたら?
オットーは、父親の介護者になる気は全くないから、一人で暮らせなくなってもするのは食料品の買出しのみ。
掃除も、洗濯も、料理も、一切しないと言っています。
訪問介護を頼む?
それは問題外。オットー父という人は、100%完全に自分の思うようにやってもらわないと怒る人です。
介護者は外部の人間だから、最初の数回はネコをかぶって穏やかに振る舞うかもしれません。
でも長続きしませんって。
そして地が出たら、訪問介護者さんは皆、「あのお宅には二度と行かない! 」となるでしょう。
私だって行きません。どうせ働くなら、感じの良い人のために働きたいですからね。
* * *
足取りがおぼつかなくなりつつあったにもかかわらず、オットー父は、杖を使うことを拒否してきました。
スーパーでの買出しにオットーを頼るようになったのは、今年の3月頃から。
オットー父の買物デーは、火曜日と木曜日で、別々のスーパーに行きます。
60歳で定年退職できたオットー父と違い、オットーはまだ労働年齢。
(国民年金の受給は66歳から。)
オットーが週2回も買出しに付き合えるのは、幸い自宅で自営のイラストレーターをしているからなんですけどね。
普通の勤め人だったら、とてもできないことなんですけどね。
でも自己中のオットー父には、遠慮も配慮も一切ありません。
息子の仕事しているべき時間を奪っているのだから、効率的に買物できるよう工夫するとか、一切ありません。
スーパーではカートを押せば安定歩行できるので(人や陳列物の山や陳列棚にぶつかりつつも)、
最初の頃は、買物リストをオットーに渡して一人で行かせてくれることはありませんでした。
なので先月転倒し足首の腱を切ったことは、神様の思し召しだったかも。
特殊なブーツで固定された足で、歩行補助器を使ってまで、一緒に行きたがることはなくなったので。
オットーは義弟②と一緒に、明後日16日(金)からオトコのホリデーに行きます。
帰宅は9日後の25日(日)。
私は来週が住み込み仕事オフの週だったので、3日だけ有休を取り、16日(金)の正午に住み込みを終えて帰宅することに。
オットー両親の緊急時に備えて、念のためです。
来週の買物は同じ町に住む私が必然的に引き受けることになります・・・ 面倒なことになりませんように。
(たとえば間違ったブランドのものを買ってしまったとか、オットー父の頭にあったものとは違うものを買ってしまったとか。 )
火曜日と木曜日が食料品の買出し。それから金曜日には、オットー母の採血のアポがあるため、診療所に連れて行く必要があります。
でもそれ以外は何の予定もなしの9連休 ゆっくり本でも読もうっと
* * *
去年還暦を迎えたオットーが、嫌々ながら父親をサポートしている理由はふたつ。
最初にして最大の理由は、母親のためです。
父親をサポートすることは間接的に母親をサポートすることになるし、
望むことがなされないと父親に八つ当たりされるであろう母親を守ることになるから。
ふたつめの理由は、ここまで父親と付き合ってきて、今さら遺言から除外されたくないからです。
何せオットー父は、オットー母の年金まで含む夫婦の共有資産をすべて握っていますからね。
もっとも二人が長期にわたって養護施設に入所すれば、資産など雲散霧消するかもしれませんが。
オットーは、もし両親が離婚していたら、父親とはとうの昔に疎遠になっていただろうと言います。
一人になった父親のことなど、どうなろうと知ったことじゃなかったと。
たとえ年老いて自分で自分のことができなくなって、みじめな孤独死を遂げようとも。
(というよりオットー父は、みじめな孤独死こそ値する人だったのでは?)
でも両親――母親――は離婚しなかったから、還暦を過ぎたオットーは、未だに父親にいいように使われているわけです。
かっ・・・ かっわいそう・・・
オットー両親のおかげでオットーがこの世に生まれたので、その点は私も感謝します。
でもオットー母には、子供たちが成長した時点で、離婚する勇気を持って欲しかった。
そうすれば資産は折半され、オットー母はずっと豊かな生活を送れたことでしょう。
(参:とことん間違いだらけの夫選び)
子供たちも事あるごとに母親を訪ね、和気あいあいと過ごせたことでしょう。
オットーは、「父が死んだら肩から大きな重荷が下りて、それは気が楽になるだろうな・・・」と今から言っています。
(は~や~く~来~い~来~い、Xデー ・・・)
みじめな結婚(内縁もですが)生活を我慢して続けるかどうかは、本人次第です。
でもその結果影響を受けるのは、本人だけには留まりません。
子供たちの生活や心情にも、大きな影響が及びます。
子供時代の家庭の雰囲気は重苦しく、友達も呼べなかった(し、呼んでも来たがらなかった)という環境は、
オットーたち4兄妹のうち3人までがかなり内向的な性格に育ったことに、大きく影響したのではないでしょうか。
(と言いつつ、優しい両親のもと幸せな家庭で成長した私も内向的。)
実際オットーは、私と出会う前は(自分も父親のようになるかもしれない・・・)と結婚には消極的で、独身のまま働いて、
まとまった資金ができたらスコットランドの辺鄙な土地に引越して、自給自足の生活をしてみよう。と、漠然と考えていたそうです。
私と出会ってしまったので、その計画はお流れになりましたが。
(ということは私は、孤独死の運命からオットーを救った救世主!? )
長くなりましたが、そういう訳なので、皆さん忘れないでくださいね。
我慢するか、別れるかは、あなた次第。
でもその影響は、あなただけには留まりません。
人生の最後になって (あのとき勇気をもっていれば・・・) などと後悔せずに済むよう、
一度きりの人生を、大切に、幸せに、生きてくださいね!