《 おことわり 》
① クソ野郎の義父がとうとう昇天しましたが、私は義父が故人になったからといって、語調を変えるつもりはありません。
その点を不快に感じられそうな方は、不快に感じ始めた時点で当ブログを閉じてくださいますようお願い申し上げます。
② 義父が逝くまでの経過をさくっとまとめるつもりでしたが、将来自分が読み返すときのために詳しい記録を残しておきたいので、
長ったらしい記事になりそうです。御用とお急ぎでない方のみ、お読みくださいませ。
《 ④からのつづき 》
信じられないような言動で周囲に毒を撒き散らす義父と、その毒を長年まともにかぶりながらも、あくまでそんな夫に添い遂げる
つもりらしい義母。オットーは、心底嫌気が差しながらも、母親のためと、歯を食いしばって義父をサポートしてきました。
歯を食いしばってというのは、文字通りです。義両親宅から戻ったオットーは、奥歯の根元に痛みを覚えることがよくありました。
父親に対して怒鳴り返さないよう、歯を食いしばって耐えていたからです。
怒鳴り返したら相手と同じレベルに落ちてしまうし、何よりも、その結果オットーの辞去後に八つ当たりされるのは、義母でしたから。
でも10月22日をもって、居間のテーブルから消えたカードが発端となって、義父とオットーの仲は決裂しました。
二人がそうなって、私は正直、嬉しかったです。精神的に病まされる前に、オットーが義父から離れる決心をしてくれたのですから。
あとから聞いたところ、オットー自身も限界が近いことは自覚していたそうです。なのでカードをテーブルの上に置き忘れた
時も、(もう父さんのために買物に行くことはないかもしれないから、わざわざカードを取りに戻るのはよそう)と考えたと。
そして実際そうなったわけです。(否、厳密に言えば、買物にはやはりこの後も行くんですけどね。・・・)
去年の今頃、当時92歳だった義父は、まだ自分で運転して買物なり病院なりに行っていました。でも2月末頃までに、
二度ほど接触事故を起こしたようです。自分に都合の悪いことははっきりも詳しくも語らないため、家族の誰も、
詳しいことは知りませんが。二度目の事故のあと、さすがに自分でも運転に自信が持てなくなったのでしょう、
義父は3月頃から、オットーに運転を頼むようになりました。在宅イラストレーターに戻っていたオットーは、快諾して病院なり
医者なりに、義父母を車で連れて行くようになりました。買物だけは義父のみです。ワンマンの義父は、それまでだって自分で
買物リストを作り、自分一人で買物に行っていましたし、オットーに運転を頼むようになっても、その習慣は(義父的には)変わる必要が
なかったからです。一方の義母(来月92歳)は、その18ヶ月前にダーズリーに越してきて以来、ほとんど外を歩かなくなっていました。
義母が18ヶ月間に外出したのは片手に余るほどで、200mほど離れた郵便ポストに数回手紙を投函に行っただけ。
広所恐怖症、対人恐怖症気味になっていたようで、それは現在も続いています。
なのでたとえ義父に買物に一緒に行くよう誘われても、行かなかったことでしょうが。・・・
義父にとって、オットーも最初は『外部の人間』だったので、義父は機嫌よく、ごく普通に接していたんです。
それが八つ当たり・怒声・理不尽な罵倒などに変わっていったのは、7月に庭で転倒して右足首の腱を切り、歩行が不自由になってから。
コントロール・フリークの義父は、自分の身体の自由がきかなくなったストレスから、怒りを身近な人間に向けるようになりました。
でも怒りが大きすぎて、義母だけでは間に合わなくなったのでしょう。仕事の時間を削って自分をサポートしてくれているオットーに
「ありがとう」も言わなくなり、口を開けば文句や愚痴。示唆や提案は、とりあえず反対して却下。でもそれが道理にかなった
ものだとあとから考え直すと、次に会ったときにはケロッとして、あたかもそれが自分の案だったかのように誇らしげに採用します。
自分に都合の良いように平然と嘘をつける恥知らずなのです。
10月23日(水)。午前9時半、義母からオットーに電話。「テーブルの上から、お父さんのキャッシュカードを持ち去った?」と義母。
オットー、義母の記憶力の低下にショックを受けつつ、持ち去っていないと回答。前日の言い争いの原因がまさにそのカードのことだったと
指摘しましたが、義母は覚えていませんでした。オットーは義母にそれまでの経緯を説明。前週の金曜日に義父のラップトップを使っていた
オットーが、義父が怒鳴るのをやめないため急いで辞去しようとしてカードをテーブルに置き忘れたこと、カードは月曜日までには
テーブルの上から義父の財布と共に消えていたこと、自分のカードをぞんざいに扱ったオットーを懲らしめるために義父がカードを隠したと
オットーは考えていること。義母は無言のままでした。オットーは義母に、義父が「日曜日の夜に寝室から出て居間で何かしていた」と
義母自身がオットーに言ったことは覚えているか訊きましたが、義母の答えは「覚えていない」でした。
義母によると義妹のジェインはすでに両親宅に来て、“紛失した” カードは電話でキャンセルするよう義父に忠告し、
義父が持っていた義母名義のキャッシュカードを持って買物に行ったとのことでした。
オットーは義父が気を変えてカードを “発見する” のを待っていましたが、午前10時をまわったので、サンライズ・ケアに、
「自動振込み申請用紙をありがとう、でも父と自分はコミュニケーションをとるのが不可能なので、自分は父のサポートから手を引きます。
それゆえ今後は父のみに、直接連絡してください。」
とメールで知らせました。
義父はメールは定期的にチェックしないので、義父への連絡は電話か郵便の方がいいことも付け加えて。
11時過ぎ、ジェインから電話。義父がジェインに教えたピン・ナンバーが間違っていましたが、義父に電話で訊き直した別のピン・ナンバーまで
間違っていて、万事を休したからです。義母のカードのピン・ナンバーも義父のものと一緒で、幸いオットーは義父のをまだ覚えていたので
ジェインに教えることができました。正しい番号は、たとえば6616だったところを、義父は最初にジェインに6166と教え、電話で
訊き直されたときには6161と教えていたのです。
お昼頃、サンライズ・ケアのマネージャーからオットーにメールが入りました。
「自動振込み申請書について説明しようとお父様に電話しましたが、『話したくない』と電話に出ていただけませんでした。
明朝お伺いする介護ヘルパーから話してもらおうと思います。」
午後3時半、ジェインからオットーにメール。ジェインは息子たちを学校に迎えに行くため、午後2時には両親宅を辞去するようでした。
「母さんが紛失していた父さんのカードを、ラップトップのケース内、ラップトップの下に敷かれていた書類の中で見つけたわ。
今日は父さんはベッドから出ようとせず、涙ぐんで、何か食べるよう言っても断り、紅茶を飲むだけだった。
母さんは気丈に振舞っていたけれど、記憶はとても悪かった。カードに関する心労のせいかもしれないわね。」
ということで、オットーが推測した通り、カードは居間で見つかりました。
ジェインが買物に行って留守の間に。
その朝両親宅に着いたジェインは、開口一番『悪用されないよう、紛失したカードはすぐにキャンセルすべき』と義父に忠告したそうです。
でも義父は言葉を濁し、ジェインを買物に出しました。
オットーはムスメと私に、義父のラップトップのケースについて詳しく説明してくれました。
ケースはネオプレン製で、ラップトップを収納すると周囲にはほとんど余裕がないきつきつのフィットです。
急いで両親宅を辞去する前に義父のラップトップを使っていた金曜日も、「ラップトップを壊した」と非難されたため義父のラップトップを
起動させた月曜日も、オットーはケースのファスナーを開けてラップトップ画面を立て、本体をケースから外に出すことなく使ったそうです。
義父は自分のパスワード一覧表を、ラップトップのケースの中、ラップトップ自体の下に、他の書類とともに保管していましたが、
義父のラップトップ起動のパスワードを記憶していたオットーには、一覧表を見る必要はありませんでした。それゆえ前週の金曜日、
オットーが急いでラップトップをケースにしまって両親宅を辞去したときに、カードがケースに入ったままだったラップトップの下にあった
書類の間に紛れ込むということは、100%有り得なくはないものの、可能性としてはとても低いと思えました。
一方義父は、日曜日の夜に義母経由で「ラップトップを壊した」とオットーを非難しましたから、金曜日にオットーが帰宅してから
それまでの間に、自分でもラップトップを使おうとしたことになります。パスワードを間違えて「お前がラップトップを壊した」と
オットーを非難したほどでしたから、義父がパスワード一覧表をチェックしたことは(そしてそれでもなお間違えたことは)まず確実と思われ。
いろいろな可能性を考慮した結果の、私たち3人(オットー・帰省中だったムスメ・私)が出した推測です:
オットーが自分のカードをテーブルの上に置き忘れて帰ったことに気づいた義父は憤り、オットーを懲らしめることにし、カードをラップトップの
ケースの中、ラップトップの下に重ねられていた書類の間に紛れ込ませた。火曜日、買物のためカードが必要なオットーがカードに言及すると、
待ち切れなかった義父は、オットーがカードの在り処を知らないことをまだ自分が知る由もないはずの時点で、自ら暴露してしまった。
(ただ義父はそれを自覚していない可能性があります。オットーが会話を録音していることを、義父は知らないので。)
困ったオットーが宝探しをするのを眺めて楽しむつもりだったが、「カードを出してくれないなら買物はしない」と反撃され、
事態は思わぬ方向に。でもカードの在り処を知らないという自分の前言を撤回できず、状況を受け入れるしかなかった。・・・
もちろんこれはあくまで推測なので、実際にあったことは、義父自身あるいは神のみぞ知る、です。もしかしたら本当にカードが、
どういう偶然でかケースの縁とラップトップの側面の間に挟まり、オットーが急いでラップトップをしまって帰ろうとしたときラップトップの
下にあった書類の間に押し込まれ、見当たらなくなった。という可能性も、100%は否定できません。
あるいは自らも頭に血が上っていたであろうオットーが、無意識のうちにカードをラップトップの下の書類の間に差し込んでしまった
可能性だって、やはり100%ないとは言い切れません。
それでもはやり前日の時点、オットーがカードに言及した時点で義父がカードの在り処を知っていたという推測は、私たちには
ほぼ100%確実と思えるのでした。
でもオットーが義弟②に言ったように、義父とオットーのどちらが正しいか、真実を言っているかなどは、もはや重要ではありませんでした。
二人が正常なコミュニケーションをとれず、有意義な交流ができないことが、最大の問題でしたから。
『義父、逝く』の冒頭に書いたエピソードのように、『過ちを犯した』オットーを罰することが、義父にとっての最優先課題でした。
息子がすでに還暦を過ぎていようが。
息子は高齢で不自由になった自分をサポートしてくれていようが。
息子に背を向けられたら困るのは自分の方であろうが。
普通の父親だったら、オットーがカードを置き忘れていったことに気づいたら、次に会ったときに「これからは気をつけてくれよ」と言って
カードを返すことでしょう。でも義父の場合は、たとえ自分を助けるためにのみ息子が自分のカードを持つ必要があったのだとしても、
素直にカードを返す代わりにまず息子を懲らしめなければならないのです。懲らしめのためオットーにカードを探させるには、
自分がすでにカードを見つけていることは言えなかった。オットーがカードを置き忘れたことを自ら言うまでは、オットーがカードの在り処を
知らないことを知らないふりをしなければならなかったのです。その間自分はコンピューターを立ち上げられずに苛立ち、
「オットーが壊した」と非難したもののコンピューターは壊れていなかったのでさらに怒り・・・ 火曜日にオットーがカードに言及するまで、
義父の中では怒りが増幅し続けていたことでしょう。
午後5時半頃、義母からもオットーに電話がありました。カードは義母自身が発見したそうです。
おそらく義父の指図で、ラップトップのケース内を探していて。
カードが無事見つかったのだから、
「お父さんとあなたは仲直りしてくれられるわよね?」
オットーは、それはもうできないこと、父親のサポートは父親自身がしなければならないことを告げました。
義母は「お父さんは自分が間違っていたとわかっていると思うわ」と言いましたが、それは希望的観測が過ぎました。
「でもカードは見つかったじゃないの?」
「問題は、金曜日にあったことでも、月曜日でも、火曜日でもないだろう? この口論にしろあの口論にしろ、誰が誤っていたかは
問題じゃないんだ。もう何週間もこの状態が続いてきた。父さんと俺は合わないんだ、そうだろう?」
「そうね・・・でも戻ってきてくれられるわよね?」
「父さんが俺にそうして欲しいと、まず知る必要がある。」
義母、無言。
「何か必要なものがあったら言ってね。」
「わかったわ。」
義母、電話を切る。
午後8時頃、義母からふたたびオットーに電話がありました。義父は翌週月曜日の病院でのアポのため、ボランティア・タクシーを
予約したとのこと。
「来週水曜日の足爪ケアのアポだけど、予定通り私を病院に連れて行ってくれられる?」
「もちろんだよ、もうカレンダーに書いてある。」
「お父さんだけど・・・ お父さんも私に続いて予約が入っていて、私と一緒に連れて行ってもらえるかって・・・」
義母の予約は11時半、義父は12時でした。前日オットーは義母にはっきりと、「今後は父さんのことは一切どこにも連れて行かない」と
言ってあったのですが。
「オーケー・・・ 父さんとは一切話をする必要がないならね・・・。」
「口を閉ざしているよう、私からもお父さんに言うわ。でもお父さんのこと、お父さんだけのときは連れて行ってくれないのよね?
お父さん、11月にチェルトナムの病院に行く必要があるんだけど。」
最近の2回の、父親の病院帰りの状況を回想するオットー。車内で口論になり、激高した義父は車から飛び出しかねない
興奮状態だったそうです。
「駄目だ。」
「わかったわ。ありがとうね、おやすみ。」
10月24日(木)。義父の寝室に置く簡易トイレに関し、ソーシャル・サービスの作業療法士スージーから、オットーに電話。
オットー、スージーに、義父はオットーと話すことを拒否したため、オットーは義父のケアから手を引いたことを説明しました。
この日はオットー・ムスメ・私の三人で、前日に続いて ドラマ “GIRI/HAJI” を視聴(、見終えて脱力)。
10月25日(金)は、ムスメと私はウスターへ(参:面接と食べ放題ランチ)。夕方義妹ジェイン宅にお邪魔し、一緒に夕飯を
ご馳走になったあと、一泊させてもらうムスメをおいて、私だけ帰宅しました。
10月26日(土)のお昼過ぎ、ジェイン一家はムスメを、我家まで送ってくれました。義両親宅に寄るついでに。
翌週は学期中休みで一週間学校がなかったので、この日ジェイン一家はコーンウォールにホリデーに出かけたのです。
義両親宅はその道すがらにあったので、義両親に顔を見せたあと、ついでにムスメも送ってくれたのでした。
ホリデー中はジェインが義両親の買物をできるはずがないので、オットーはジェインに、「翌週の買物は自分がする」と
約束しました。懸念を抱えたままジェインにホリデーに出かけてほしくなかったからです。
【自宅で撮られた、義父のおそらく最後の写真: 義妹の夫撮影】
(写真では、ごく普通のいいお祖父ちゃんに見えるのに・・・ )
午後3時半頃、義母からオットーに電話。
「お父さんはあまり調子がよくなくて、ベッドに行ったわ。」
(だからこうして電話してこれるわけか・・・)と内心考えるオットー。
「あなたがまた来てくれるといいんだけど。」
「どうして?」
「来てくれるのを楽しんだから。」
「ごめん・・・でも父さんがいるうちはできない。うまくいかなかった。父さんと俺は、いつも口論するだけだった。」
「・・・お父さんのことを赦してあげてくれるといいんだけど。」
「赦すことなど何もないよ。俺は父さんのカードを置き忘れ、父さんはそのことでものすごく怒った。」
「ああ、そのこと!」
「父さんと俺は、うまくやれないんだ。俺は父さんに嫌われていると思う。」
「そんなことないわ・・・ お父さんは誰に対しても同じだもの。」
「わかってる。近づけば近づくほど、父さんの態度は悪くなる。訪問するたびに、そうだった。
自分の精神状態を考慮に入れなければならなかった。」
「そうね。」
「父さんはジェインに対してだって、いつかは同じことをするだろう。それからヘルパーさんにも。俺はもう父さんとはつき合えない。
きっと我慢が足りないんだな。父さんが間違っていると思えば、反対意見を言う。父さんが怒れば、俺も怒る。うまくいかなかった。」
双方、しばらくの間無言。
「あなたがまた来てくれたらと思うわ。」
「いつでも電話してくれていいよ。」
「わかったわ・・・おやすみなさい。」
「おやすみ。」
《 ⑥につづく 》