《 新型コロナによる英国内の新たな死者数 》
4月17日(金)発表: 847名 (累計14,576名)
4月18日(土)発表: 888名 (累計15,464名)
4月19日(日)発表: 596名 (累計16,060名)
4月20日(月)発表: 449名 (累計16,509名)
本日4月21日(火)発表: 828名 (累計17,337名)
* * *
先週ムスメと Netflix(ムスメが加入しています)のドキュメンタリー番組 “ゲイブリエル・フェルナンデスの裁判” を見ました。
とても重い、でも見始めたら目が離せない内容でした。
今日はその番組について、ネット・ニュースで拾った情報も交えて書きます。
ゲイブリエル・フェルナンデスというのは被告ではなく被害者の名前。
“ガブリエル”と書きたくなりそうですが、発音は“ゲイブリエル”に近かったようなので、こちらで表記することにします。
《 警告: この記事には子供への残酷な虐待を描写する記述や画像が含まれています 》
ゲイブリエル・フェルナンデス(敬称略)は、2005年2月21日に生まれました。
母親のパールは彼に愛情を注ぐ気も育てる意志もなかったため産むことを躊躇していましたが、パールの叔父(=父親ロバートの弟、
ゲイブリエルにとっての大叔父)マイケルとその同性パートナーのデイヴィッドが「自分たちが育てるから」とパールを説得。
パールはゲイブリエルが誕生して3日目にはもうマイケルに電話し、「早く赤ん坊を引き取りに来てよ、神経にさわるったらないわ」。
マイケルとデイヴィッドは、愛情をもってゲイブリエルを大切に育てました。
2009年、ゲイブリエルが同性カップルに育てられることを不適切と感じた祖父ロバートが、当時4歳のゲイブリエルを引き取ることにします。
祖父母(=パールの両親)もゲイブリエルを愛し、慈しんで育てました。
ゲイブリエルには同じ両親から生まれた4歳上の兄と2歳上の姉がおり、この二人もゲイブリエルとともに祖父母に育てられていたようです。
(父親は刑務所を出たり入ったりの繰り返しで、存在感無し。またこの兄と姉も以前は大叔父マイケルと暮らしていたのかは不明です。)
2012年10月。
おそらく児童福祉手当を得ることを目的に、パールが突然、自分の両親が育ててくれていた3人の子供たちの養育権を申し立てます。
子供たちの安全を懸念した親族は、パールがゲイブリエルたちを養育することに反対。
パールの母親は、パールには過去に子供たちを虐待しネグレクトした過去があったことまで警察に訴えました。
それにもかかわらず、パールが子供たちを引き取ることを認められ、ゲイブリエルたち3人は、
母親パールと内縁の夫イザウロ・アグィアが住むパームデールのアパートに移って、5人で暮らすようになります。
188cm・122kgと巨漢のイザウロ(逮捕時32歳)は、当時スーパーの警備員をしていました。
8ヶ月後の2013年5月22日、パール(逮捕時29歳)は「息子がシャワー中に転倒して頭を打ち、呼吸が止まった」と救急車を要請。
病院に救急搬送されたゲイブリエルは、全身におびただしい傷を負っていました。
ゲイブリエルを手当てした看護師は、全身傷だらけの彼の状態が信じられなかったと言います。
「到着時の体温は31℃しかなく、あちこちの皮膚がすりむけ、破れ、痣だらけで、腫れもありました。首の上部の皮膚はなくなっていて・・・
頭のてっぺんから爪先まで傷だらけでした。人工呼吸器に接続されましたが、二度心臓が止まり、蘇生には膨大な努力を要しました。」
ゲイブリエルの頭蓋骨と肋骨3本は骨折し、肺・肝臓と股間はBB弾により損傷され、両足首には縛られた跡が残っていました。
ゲイブリエルは、懸命の蘇生努力も空しく脳死を宣告され、2日後の5月24日に生命維持装置が外され、死亡。
8歳3ヶ月の短い生涯でした。
死因は 『栄養失調とネグレクトと長期にわたる被暴力を伴う打撲』。
パールとイザウロと暮らした8ヶ月間、ゲイブリエルは二人によって毎日のように虐待され拷問されました。兄と姉はたまに叩かれる程度で、
ゲイブリエルのように習慣的に虐待されることは免れました。ゲイブリエルが虐待の単独対象になったのは、パールとイザウロが彼を、何の
根拠もないままゲイだと決めつけていたからかもしれないと、番組は示唆します。
ゲイブリアルは十分な食事を与えられず、ベルトで殴打され、猫砂や糞や自分自身の吐瀉物を食べさせられ、バットで叩かれて歯を折られ、
骨折するほど叩かれ殴られ、煙草で火傷させられ、BBガン(BB gun)で顔を含む体のあちこちを撃たれ、女の子の服装で登校させられ、
縛られ猿ぐつわをされたうえで小さなキャビネットに押し込まれてそこで眠らされ、冷水風呂に入らされ、腐りかけた食物を食べさせられ、
髪の毛を毛根からごっそりと引き抜かれました。ゲイブリエルの4歳上の兄と2歳上の姉によると、パールとイザウロはゲイブリエルを虐待しながら
笑っていたそうです。
ゲイブリエルの姉が裁判で証言したところによると、ゲイブリエルが致命傷を受けた夜も、イザウロは何度もゲイブリエルの頭を殴りました。
ゲイブリエルが倒れたまま動かなくなったため、イザウロとパールはパニックし、ゲイブリエルにシャワーを浴びせて頬を何度も叩きました。
それでもゲイブリエルが息を吹き返さなかったため、救急車が呼ばれたのでした。
ゲイブリエルが夜間、時には日中も閉じ込められたという“箱”。
ゲイブリエルが救急搬送された翌日、死亡する前日の2013年5月23日に、パール・フェルナンデスとイザウロ・アグィアは逮捕されました。
当初の容疑はパールが『子供を危険にさらした罪』、イザウロが『殺人未遂』でしたが、ゲイブリエルが死亡したため、二人の容疑はそろって
『拷問という特殊状況をともなう第一級殺人罪』に変わりました。
周囲の人間は、ゲイブリエルが虐待されていることに気づかなかったのか?
もちろん気づいていました。
ゲイブリエルの大叔母夫婦(下左)はゲイブリエルの安全を懸念し、ソーシャル・サービスに3回、保安局にも2回、通報していました。
パールの妹(下右、当時未成年)は、ゲイブリエルの目の周りに痣ができ歯も失くなっているのに気づき、彼にどうしたのか訊ねました。
ゲイブリエルは最初は「ふざけて喧嘩ごっこしたから」と言いましたが、何度も訊かれると「お母さんに殴られた」と告白しました。
そのため彼女は、ゲイブリエルが虐待されないよう、折に触れてできるだけパールの家に泊まりに行くようにしたそうです。
ゲイブリエルはある日、担任のジェニファー・ガルシアに質問しました。「お母さんが子供を叩くのは普通なの?」
ガルシアが質問の背景を探ると、ゲイブリエルはさらに訊ねました。「ベルトのバックルのところで血が出るまで叩くのは普通?」
虐待を疑ったガルシアは、ゲイブリエルとの会話をロサンゼルス郡児童虐待ホットラインに通報。
ソーシャル・ワーカーのステファニー・ロドリゲスがゲイブリエルの件の担当になり、その旨をガルシアに電話で連絡してきました。
しかし虐待は止まりませんでした。
ある日ゲイブリエルは、髪の毛が数ヶ所でまとまって抜けた状態で登校しました。ガルシアがよく見てみると、その部分の頭皮には
血で滲んだかさぶたができていました。ガルシアはロドリゲスに電話で報告しました。
また別の日にはゲイブリエルの唇が大きく腫れていて、ゲイブリエルは「お母さんに殴られた」と言いました。ガルシアはすぐさま校長を呼び、
ゲイブリエルが言ったことを伝えました。校長に促され、ガルシアはロドリゲスに電話してゲイブリエルの怪我について報告しました。
その後まもなく、ゲイブリエルは顔に怪我をして登校しました。両目は腫れ、顔中に痣がありました。休み時間にゲイブリエルと二人きりに
なったガルシアに訊かれると、ゲイブリエルは最初は「転んだ」と言いましたが、やがて「お母さんにBBガンで撃たれた」と告白しました。
驚き慄いたガルシアが何故すぐにそう言わなかったのか訊くと、ゲイブリエルは「(先生に)言うたびにあの女の人(ロドリゲス)が来て、
余計に痛い思いをするから言うのが怖かった」と答えました。それを聞いてためらいつつも、ガルシアはソーシャル・サービスにすべてを報告しました。
ロドリゲスは家庭訪問をしましたが、ゲイブリエルが「あれは事故だった」と言ったためそれを信じ、怪我が適切に治療されているかの
確認もしませんでした。
そのあとゲイブリエルは、続けて13日間学校を欠席しました。ようやく登校したゲイブリエルの怪我ははるかにひどいものでした。
片目は完全に真赤になり、額の皮膚は一部むけ落ちていて、「自転車から落ちた」とゲイブリエルは言いました。
ガルシアはロドリゲスに電話しメッセージを残しましたが、ロドリゲスから電話がかかってくることはありませんでした。
アートゥロ・マーティネスは、ロサンゼルス郡福祉局で警備員を勤めていました。
2013年4月26日(死亡の約1ヶ月前)、ゲイブリエルたちはパールに連れられて福祉局に来ました。マーティネスは直ちにゲイブリエルの
怪我に気づきました。「その男の子の後頭部には、いくつもの煙草の火傷跡があったんです。両目の周りにも痣ができていました。私のデスクの
側を通るとき、その子は片袖をめくり上げ、目の隅から私を見ました。傷跡が見えて、(こりゃひどい、なんて有様だ、虐待だ!)とショックを
受けました。その子は『こんな目に遭わされているんだよ』と身体で訴え、叫んでいました。言葉を聞く必要はありませんでした、全身が
助けを求めて叫んでいましたから。」
マーティネスはパールに応対していた事務員と話し、ゲイブリエルの状態を上司に報告してもらいました。しかし上司の反応は、
「巻き込まれるな」でした。マーティネスは自分の上司にも報告しましたが、ここでも「巻き込まれるな」と指示されただけでした。
業を煮やした先の事務員は、マーティネスにこっそりパールの住所氏名を渡し、「自分にはできないので、何とかあの子を助けてあげて」
と頼みました。失職のリスクを承知でマーティネスが保安局に通報すると、保安局は「二人の保安官を派遣する」と告げました。
が、ゲイブリエルは保護されることなく、その29日後に死亡しました。
ゲイブリエルの祖父ロバートも、裁判で涙ながらに証言しました。
「ゲイブリエルは、『家(祖父母の元)に帰りたい』と言いました。私は『児童福祉局が調査中だから今は駄目だが、いつか帰らせてもらえるよ』と、
ゲイブリエルに約束しました・・・。」
ゲイブリエルがひどく虐待されている疑いは、複数のソースから何度も児童福祉局や保安局に通報されました。
ゲイブリエルのケースには4人のソーシャル・ワーカーが関与していましたが、それにもかかわらず彼は虐待者から救い出されず、
虐待にさらされ続けて死に至りました。
検察側は、彼等が『ゲイブリエルが被っていた身体的・精神的・感情的損傷を軽視』し、『危うい状態にある少年を
虐待の現場となっていた家庭から救い出さず、虐待されるがままに放置』し、『公的記録を改ざんした』として、
4人の告発に踏み切りました。児童虐待のケースでソーシャル・ワーカーが罪に問われるのは、前代未聞のことでした。
ゲイブリエルのケースを直接担当したのは、まだ新人だったステファニー・ロドリゲス。彼女は何度か家庭訪問をしてパールとゲイブリエルと
話しました。ステファニーの記録によると、パールも同席する中虐待について訊かれたゲイブリエルは、「あれ(先生に言ったこと)は嘘。
本当は転んだの/自転車から落ちたの」などと、虐待があったことを否定しました。ゲイブリエルの兄と姉も、虐待はなかったと述べました。
(ゲイブリエルの兄と姉は、のちに法廷で、パールに「嘘をつくよう命じられていた」こと、また「ゲイブリエルに目立つ傷があるときにロドリゲスが
訪問することになった際はパールは「ゲイブリエルの口に靴下か何かを詰め、手錠をかけて“箱”に閉じ込めた」ことを証言。二人はまた、
ゲイブリエルが致命傷を負わされた夜に、「ゲイブリエルをかばおうとして母親とイザウロに叩かれた」ことも涙ながらに証言しました。)
パールはロドリゲスに、ゲイブリエルは「また祖父母と暮らしたいから」あるいは「大人の関心を惹きたいから」嘘をつく傾向があると言い、
「一度だけゲイブリエルをベルトで叩いたことがあるが、それはゲイブリエルが嘘をついて盗みをはたらいたからだった」と説明しました。
ロドリゲスは、学校に出向いて担任のガルシアと話すことも、隣人に話を聞くことも、パール抜きでゲイブリエルたちと話すこともしませんでした。
パールはゲイブリエルたち3兄妹の他にも2人の子供を産んでいましたが、うち1人の親権は放棄、もう1人の養育権は剥奪されていました。
しかしロドリゲスは、こういったパールの背景を調べることもしませんでした。ロドリゲスは家庭訪問を続けたものの、「ゲイブリエルを母親から
引き離すのに十分な証拠は見つからなかった」としました。
グレゴリー・メリットはロドリゲスの上司で、ロドリゲスの報告を受けてゲイブリエルのケースを終結させました。
「常時200を超えるケースを監督していたんです。罪悪感はありますが、私は罪を犯してはいません。」
“ゲイブリエル・フェルナンデスの裁判”は、実母とそのパートナーによってゲイブリエルが被った虐待を追うのみならず、
ゲイブリエルを救えなかった児童保護システムの失敗も検証しています。その後4人は解職されたものの、不起訴処分になりました。
ゲイブリエルの母親パール(逮捕時29歳)は、自身の子供時代も不幸だったことを主張。父親は刑務所を出たり入ったりを繰り返し、母親は
自分を愛さず時には自分を叩いたと申し立てました。9歳のときに薬物(メタンフェタミン)使用と飲酒を開始し、11歳のときに家出しました。
学校は不登校になってドロップアウト。ティーンのときに叔父にレイプされそうになり、複数の男に数日間監禁され輪姦されたとも申し立てました。
パールは、イザウロを含む自分のパートナーたちは皆自分を虐待したとも述べました。が、彼女の伯母夫婦によると、本当のところはパール自身が
パートナーたちに対して暴力的・支配的だったそうです。実際パールは、ゲイブリエルたち3兄弟の父親であるアーノルド・コントレラスを刺すと
嚇したかどで告発され、起訴されるのを待っていたところでした。彼女は知能指数が低く、気分障害、発達障害、おそらくパーソナリティー障害、
PTSDもあると診断されました。
(裁判を待つ間にすっかり肥えたパール。その冗談みたいなメーク、どうにかならんか・・・ そもそもこんなクソ女にメークなんて許さんでいいっ!)
イザウロ・アグィア(逮捕時32歳)は、3年ほど高齢者養護施設に勤めていました。当時の上司によると、彼は「物静かで辛抱強く親切」でした。
入居者のおむつ交換をすすんで行い、運転手として入居者たちを連れ出したときは、景色を楽しめるようにと高速道路ではなく眺望のいい
ルートを運転したそうです。スーパーの警備員として働き出したのは2012年10月、ゲイブリエルを引き取ったのと同じ月でした。
イザウロがパールに出会ったのは、その1年半から2年ほど前だったそうです。
ゲイブリエルたち3兄弟の父親であるアーノルド・コントレラスは、ゲイブリエルが虐待死したとき、強盗罪で服役中でした。
刑務所づきの牧師が彼を脇に呼び、ゲイブリエルが生命維持装置で延命されていること、翌日装置が外されることを告げたそうです。
彼も裁判で、「パールは子供たちに愛情を示したことは一度もなかったので、子供たちがパールに養育されることに反対だった」ことや、
「ゲイブリエルのためにそこにいてやるべきだった」と罪の意識を感じていることを証言しました。
(着ているものが囚人服っぽいから、事件から5年後の裁判中にも服役中だったのかもです。)
(しかしこの実父は、今年に入ってからも別の罪で刑務所に収監されたそう。
このように親になる資格のない二人の人間を親に持ってしまった場合、子供たちはいったいどうやって無事に、そしてまともに成人しろっていうの・・・!?)
ゲイブリエル事件に対する一般市民の憤りはすさまじく、無能な児童福祉局に対する抗議デモもたびたびありました。
ゲイブリエルが住んでいたアパートのすぐ外の木は『ゲイブリエルの木』になり、写真やおもちゃやメッセージで飾られました。
下右は『ゲイブリエルの木』を見つめるジョン・ハタミ検事。
下左は、ゲイブリエルを4歳まで育てた大叔父マイケルとそのパートナーのデイヴィッドです。
マイケルはパールとイザウロの有罪判決を見ることなく、ゲイブリエルの死から16ヵ月後の2014年9月に亡くなりました。
パールとイザウロを 『拷問という特殊状況をともなう第一級殺人』 で起訴した検察側は、死刑を目標に定めました。
イザウロは「ゲイブリエルの死は意図されたものではなかった」と無実を主張したため、女性7名・男性5名から成る陪審員が選出され、裁判になりました。
ハタミ検事はイザウロを『悪そのもの』と呼び、「ゲイブリエルが被った苦痛とは比較にならないものの、死刑が相当」と
死刑を求刑しました。
それに対し弁護側は、「イザウロは高齢者養護施設での勤務時は親切で同情的であり、パールに出会うまでは前科もなかった」と指摘しました。
2017年11月14日に陪審員団は審議に入り、翌日の午後には評決に達しました。
『拷問という特殊状況を伴う第一級殺人罪で有罪』。
2017年12月11日、懲罰に関する陪審員団の審議が始まり、男性1名が死刑には断固反対したものの、12月13日に多数決で
死刑が勧告されました。判事歴20年のジョージ・ロメリ判事はそれを受け入れ、こう述べたそうです。
「私は自分が議長を務めた裁判においてコメントしたことはありませんでしたが、この裁判は例外です。
ゲイブリエルが被った苦痛は怖ろしく非人道的で、獣的と言えるほどに想像を絶するものです。
しかしながら、動物でさえ我が子の扱い方は心得ている。
ゲイブリエルを死に追いやった二人が監獄で、自分たちが彼に与えた苦痛を振り返って精神的拷問を味わうことを願います。」
パールは2018年2月24日、死刑を回避するため司法取引に応じて罪を認め、『仮釈放の可能性なしの終身刑』が確定しました。
(パールは知能指数が低いことから死刑は不適当と判断されたそうです。)
法廷で彼女は、次のように述べました。
"I want to say I'm sorry for what happened. I wish Gabriel was alive. Every day I wish that I'd made better choices.
I'm sorry to my children, and I want them to know that I love them."
(一言も信じられません。監獄で朽ち果てて氏ねっ!)
“The Trials of Gabriel Fernandez” のトレイラーはこちら。
全6回の同ドキュメンタリー番組はしかし、完結前に新たな悲劇を報告します。
2018年6月21日、ゲイブリエルの家からわずか15分の距離に住んでいたアンソニー・アヴァロス(10歳)が死亡。
母親とそのパートナーと暮らしていたアンソニーも、長期にわたって二人に虐待され、その結果の死でした。・・・
* * *
番組内でハタミ検事は、保安局が非協力的だったことを公にしています。
裁判に備え、検事は保安局に、虐待の疑いが通報されたあとゲイブリエルくんの家を訪問した保安官の記録の提出を求めました。
(二人の保安官が訪問しましたが留守だったので訪問をあきらめ、その後二度と戻らなかったようです。)
が、保安局はその要求を断固拒否。
その結果検事は記録の提出を公式に要求し、司法命令を発動してもらわねばならなかったそうです。
子供を含む一般市民の安全と法律を守るという、同じ側に立つはずの検察と保安局なのに。
保安局は職務怠慢を公表されるのを嫌ったのでしょうね。
保安局といい児童福祉局といい、いったい何をやっているんだか・・・
ゲイブリエルくんのケースに関与していた4人のソーシャル・ワーカーが不起訴処分になったのは残念でした。
4人いたのは、保護の安全網から漏れてしまう子供を出さないためにでしょう?
それにもかかわらず、ゲイブリエルくんは漏れてしまい、取り返しのつかない結果を招いてしまった。
扱わなければならないケースが多すぎて手に余っていた? だからつい見逃してしまった?
それで済むなら、ソーシャル・ワーカーなんていてもいなくても同じ!
給料をもらっているのだから、ちゃんと仕事しろ! 人手が足りないなら、そう公に訴えろ!
訴えないままいい加減な仕事をして、子供を死なせるな!!
私にはゲイブリエルくんが、最期には生きることを放棄したように思えてなりません。
何度も虐待されているとのサインを出したのに。
虐待の地獄から、誰も救い出してはくれなかった。
(こんな状況で生き続けるくらいなら、死んだ方がまし)と・・・。
イザウロにゲイブリエルくんを殺す意図があったことを証明するのは無理と思ったので、
奴が第一級殺人で有罪になったのは爽快です。
私は死刑支持派なので、何の問題もありません。
あ、できることならパールにも死刑を宣告して欲しかったですけどね。
日本でも野田市で、栗原心愛さん(10歳)の痛ましい虐待死事件がありました。
残念ながら、本当に残念ながら、子供の虐待は決して無くならないでしょう。
すべての家庭を、ひとつ残らず、常時監視でもしない限りは。
残念ながら不起訴処分になったとはいえ、4人のソーシャル・ワーカーが起訴されるという前代未聞の出来事は、同じ分野の仕事に携わる人々への
警鐘になったと思います。また一般市民の中にも、『虐待を疑ったら積極的に通報し、虐待されている可能性のある子供を見守る』との誓いを立てた
人も多いのでは。そう信じることで、ゲイブリエルくんの死が無駄ではなかったと思いたいです。
ゲイブリエルくんのご冥福を、心の底からお祈りいたします。・・・