腸チフスのメアリーさんが隔離されたノース・ブラザー島の隣にあるライカーズ島。
今回初めて知りましたが、この島には刑務所があるんですね。
島にある刑務所というと、昭和中期生まれ(←化石やん!)の私の場合、映画『アルカトラズからの脱出』(1979年)が真先に頭に浮かびます。
それからショーン・コネリーの渋さが光った『ザ・ロック』(1996年)も、アルカトラズ島が舞台でした。
これも今知ったんですが、ケヴィン・ベーコン演じる囚人ヘンリー・ヤングへの虐待シーンが本当に残酷だった『告発』(1995年)も、
「アルカトラズ連邦刑務所を閉鎖に追い込んだ実話を基に製作された映画」とウィキにはあります。映画見たけどそこまで覚えてなかったわぁ。
あ、でも英語版ウィキには、 Henri Young は(映画で描写されたように)極貧ゆえ妹と自分のために5ドル盗んでアルカトラズに送られたのではなく
殺人で有罪になったためだったし、獄死することもなく実際はワシントン州刑務所で刑期をつとめ上げて61歳で釈放されたのち行方不明になった、とのこと。
話が横道に逸れましたが、ライカーズ島が周囲の陸地に近いことに驚きました。アルカトラズ島が陸から2.4km離れているそうなのに対し、
ライカーズ島から一番近いラガーディア空港滑走路の先端までなんて、100mくらいしかなさそう!
少し泳ぎに自信があれば、周囲の陸地にまでだって、泳げてしまえそう!
もちろんその分、警備もそれはそれは厳重なのだろうとは思いますが。
こうして改めて見ると、サリー機長が1549便を離陸させたラガーディア空港って、ほんと小さいこと。たとえ高度が十分あったとしても、両エンジンの
推進力を失ってグライダー状態だった機体を、高度と距離を調節しながらラガーディアに無事緊急着陸させるのは、至難の技だったと思われ。
ハドソン川に緊急着水してくれて、本当に正解でした!!
ライカーズ島に刑務所がオープンしたのは1932年。1943年まで続いた埋め立てにより、島の面積は当初の36ヘクタールから168ヘクタールまで
拡張されたそうです。その一方で81ヘクタールが島から削られ、1939年に開港したノース・ビーチ空港(のちのラガーディア空港)建設のため使われました。
刑務所がオープンしたのは1932年でしたが、そのずっと前からライカーズ島には囚人の刑務作業施設があったようで、1904年の
ジェネラル・スローカム号の火災事故について調べていたとき、興味深い記述を見つけました。
Rikers Island's Unsung Heroes of the 1904 General Slocum Disaster によると:
当時のニューヨーク・タイムズ紙によると、事故があった日の午前中、ネイサン・E・ブローダー(もしくはブルーダー)医師は、ライカーズ島の作業所で
受刑者の刑務作業を監督していました。そこに突然見えた、炎と煙を上げながらノース・ブラザー島へと航行するスローカム号。
受刑者ジョン・マーターとダン・ケイシーが、ブローダー医師に自分たちを救助の手伝いに行かせてくれるよう懇願します。
もし二人がどさくさに紛れて脱獄しようとしたら、2対1でブローダー医師は負かされてしまうでしょう。
でもブローダーはリスクを冒すことにし、小さな手漕ぎボートで二人と現場に向かい、チームワークで生存者や遺体を救い上げては
ノース・ブラザー島へと運びました。それは、三人がくたくたに疲れきるまで続けられ、その後三人はライカーズ島の刑務作業に戻ったそうです。
Ship Ablaze の描写では、状況は少しばかり違って:
航行するスローカム号を見たジョン・メーターとダン・ケーシーは、すぐさまボートを探しに走りました。彼らの行動は脱獄しようとしているととられても
おかしくなかったため、二人はたいへんなリスクを冒していることは百も承知でしたが、許可を得ている時間がなかったのです。
幸い小舟に到達すると、そこには作業所で働く医師のうちの一人がいて、彼も二人と行動を共にしました。
私の無責任意訳だとこんな感じかと。
その後ジョンさんとダンさんは、救助作業に手を貸したご褒美に、刑期を短縮してもらえたのでしょうか?だったらいいな、と思います。
ちなみに火災事故の犠牲者の遺体はライカーズ島にも流れ着き、遺体安置所に移送されるまで、同島に保管されたそうです。
生残者もまたライカーズ島に上陸し、手当てを受けたとのこと。ほんと大事故でしたから・・・現場付近が元通りに落ち着くまで、
かなりの日数を要したことでしょうね。
下の画像は1932年に刑務所が開設された頃のものと思われますが、何か模型っぽいですね!?(もし本当に模型だったらゴメンナサイです)
後方右手にノース・ブラザー島が見えますが、腸チフスのメアリーさんが亡くなったのが1938年だから、この写真が撮られたとき、
メアリーさんはまだあの島にいたかもしれませんね。ちっぽけな島なのに、かなり建物が立て込んでいるのがわかります。
上画像の刑務所の入口前には、中央に旗ざおを据えた円形のロータリーがあります。
その向かって左隣にある建物は、小さな鐘楼を備えた礼拝堂プラス教戒師さんの住居でした。下右が1950年代に撮られたその写真ですが、
この建物はその約25年後――つまり1970年代後半頃――に、道路拡張に伴い撤去されて今はないそうです。
いつ頃かわかりませんが、昔の写真。
ライカーズ島が事故に巻き込まれたのは、スローカム号が最後ではありませんでした。1957年2月1日には、ラガーディア空港を離陸した
ノースイースト航空823便が、離陸直後にライカーズ島に墜落した(Northeast Airlines Flight 823)そうです。
Aが同便の離陸地点、Bが最初に地面に接触した地点、Cが破損した機体が最終的に停止した地点、といった具合に。
下の図で示された823便の航路は、上とはかなり異なりますね。どちらが正しいのかなぁ?
不幸中の幸いで墜落現場は建物はなく人もおらず、ライカーズ島側には犠牲者は出なかったようです。
下左画像には、最初の接触地点B付近に造林地、停止地点C付近に養鶏場があったと説明されています。
下右画像のDは前出の礼拝堂、Eは刑務所の入口、Fは病院とのこと。
午後2時45分の離陸予定が降雪のため遅れ、ようやく午後6時01分に離陸した823便。乗客乗員合わせて101名(乗客95名・乗員6名)が
乗っていました。離陸後すぐに同機は、なぜか予定進路を大幅に左に逸れてライカーズ島にさしかかります。高度が足りなかったため同島の
木々に接触し、450mほど進んで停止。離陸から墜落まで、約60秒の出来事でした。この事故で乗客20名が死亡、78名が負傷。
乗員は数名が負傷したものの、死者は出ませんでした。
冬の午後6時過ぎの離陸では、もう周囲は真暗だったことでしょう。雪も降っていたようだし、救助活動は困難を極めたものと思われます。
823便の墜落直後、刑務所のスタッフのみならずかなりの数の模範囚(=なのでかなり自由に行動することが許されていた)が、生存者の救助に
駆けつけました。その結果、救助を手伝った57名の受刑者のうち30名が釈放され、16名が刑期を半年減刑されるなどの褒賞的措置を受けたそうです。
事故の原因ですが、823便にはフライト・データ記録装置もコックピット・ボイス・レコーダーも搭載されていなかったため、情報が乏しく、
結局確かなことはわからず。雲に突入したとき同機が針路を逸れていることに機長が気づかなかった、あるいは気づいたものの
針路を正せなかったことによる、人為的ミスとされたようです。
下はグーグルマップからの拝借画像です。現在のライカーズ島は、刑務所開設当時と比べてずいぶん建物が増えていますね。
ライカーズ刑務所では過去に、スタッフの受刑者に対する暴力行為や虐待事件やレイプ事件が報告されてきました。
2013年5月には雑誌 Mother Jones に、全米のワースト10刑務所のひとつに選ばれたそうです。
2015年には9500件近い襲撃事件があったそう。
それが理由かどうかはっきりわかりませんが、ライカーズ刑務所は2026年(あと6年後!)には閉所が決まっているみたい。
平均で常時1万人の受刑者が収監されているというのに、閉所なんてして大丈夫なのでしょうか。
下の2画像は、興味ある方のため貼っておきます。が、メンド臭い(オイオイ)し私の貧弱なボキャブラリーでは上手く訳せるとも思えないので、訳しません。
近年のライカーズ島と刑務所の画像です。
下右は、抜き打ち検査をしたときに受刑者が隠し持っていたという武器の数々。おぉ怖・・・
元ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ヴァインシュタイン。レイプと性的暴行で有罪になりましたね。
彼も、刑の宣告を待っていた今年の2月末からの約2週間を、ライカーズ刑務所で過ごしたそうです。
金と力に物言わせて好き放題してきた糞野郎は、刑務所で朽ち果てろ!と思います。
他の有名どころとしては、元IMF専務理事のドミニク・ストロス=カーンも2011年に、短期間だけライカーズ刑務所に収監されていたそうです。
そういえば、そんな人、いましたっけね。
少し前にライカーズ刑務所に一時期収監されていた有名犯には、“サムの息子”ことデイヴィッド・バーコヴィッツ。
あとジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンなどがいたそうです。
ライカーズ刑務所の受刑者の刑務作業のひとつは、身寄りのない人、ホームレス、伝染病による大量の死者などを、ハート島の共同墓地
(ポッターズ・フィールド)に埋葬することだそうです。ハート島、調べてみると、ライカーズ島から距離にして12kmくらいでしょうか。
そういえばこの春、ニューヨークで Covid-19 により大量の死者が出始めた頃に、埋葬作業の模様をニュースで見ました。
あれ、このハート島だったんですね。
腸チフスのメアリーさんに端を発して、ニューヨークの地理にちょっぴり詳しくなれた・・・ような・・・?