今月2日の朝焼けです。日が昇る位置が、かなり南に移動しています。
午後4時をまわると暗くなる昨今。早く冬至にな~れ!
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ミック・フィルポッツは1956年生まれ。
2000年、43歳か44歳だったときに、当時19歳のシングル・マザー、マレッド(?Mairead)・ダフィーと出会った。
マレッドはミックの家で一緒に暮らすようになった。
翌2001年、ミックは16歳の孤児でシングル・マザーのリサ・ウィリスとも出会った。
リサは招かれてミックとマレッドが同棲する家に翌年から同居するようになり、さらにはミックの愛人になった。
2003年5月にミックとマレッドは結婚。リサはマレッドのブライズメイドをつとめた。
2006年、働かずに福祉手当で暮らしていたミックはより大きなカウンシル・ハウス(低所得世帯に低家賃で賃貸される公営住宅)を
要求したことでメディアに痛烈に批判された。当時彼は、妻マレッド(当時25歳)、愛人リサ(同22歳)、マレッドが産んだ子供4人(連れ子を含む)、
リサが産んだ子供4人(連れ子を含む)の計11人家族で暮らしていた。
この頃、ミックが1978年に殺人未遂で有罪になっていたことも、メディアによって暴露された。
ミックは21歳だった1978年7月、2年付き合っていた恋人のキム・ヒル17歳のワンピースの丈が短すぎると感じて
彼女の下半身をクロスボウ(Crossbow)で撃ち、彼女が預かっていた赤ん坊に気をかけすぎると怒ったときは、
彼女の膝をハンマーで叩いて膝蓋骨を砕いた。
母親の家に戻っていた彼女から別れの手紙を受け取ったときは、家に忍び込み、眠っていた彼女を12回以上も刺した。
キムは肺、膀胱、腎臓と肝臓を損傷された。彼女を助けようとした彼女の母親も刺された。
ミックはキムへの殺人未遂罪、彼女の母親への重傷害罪で有罪になり、1978年12月に7年の禁固刑を受けたが、
3年2ヶ月後に釈放された。
ミックは1986年にパメラ・ロマックスと結婚し、息子2人と娘1人をもうけた。が、ミックが暴力的・支配的だったため、
パメラはミックが他の女性に気を移すことを願った。彼女の願いは叶えられ、彼は37歳のとき
当時14歳のへザー・キオー(?Kehoe)と出会った。パメラは子供たちを連れてミックの元から逃げ出し、
へザーは16歳の誕生日に家を出てミックと暮らし始めた。
へザーは2人の男の子を次々に産んだが、女の子が欲しかったミックは彼女に暴力を振るった。
ミックは彼女にもっと子供を産ませたがったが、彼女には彼の子供を妊娠する気はもうなかった。
1991年、同僚を頭突きし怪我を負わせたミックは、2年間の『条件付き釈放』(←執行猶予のようなものみたいです)に処された。
ミックの暴力に耐えかねたヘザーは、2000年に子供を連れて彼の元を逃げ出した。
2002年12月、彼女に息子たちの親権が認められた。
(ここで時系列は冒頭に戻ります。)
ミックは2000年にマレッドと出会った。マレッドは息子ドゥエインも一緒にミックと暮らし始め、2003年5月に2人は結婚。
最終的に2人の間には、5人の子供が次々に生まれることになる。
ミックは2010年に、マレッドを叩いたうえ髪の毛をつかんで屋外に引きずり出したかどで、警察の戒告を受けた。
(上右画像の白髪女性はミックの母親ペギー。)
ミックの福祉に依存した生活様式が報道され世間の非難を浴びた頃、リサはミックとの間の4人目の子供を産んだが、
まもなくメディアは、マレッドとリサの両人ともに妊娠中で2007年5月に出産予定であると報道した。
これを受けてミックは、妊娠中の2人とともにジェレミー・カイル・ショーに出演し、自分の生活様式を弁護。
(The Jeremy Kyle Showは、 ジェリー・スプリンガー・ショーのイギリス版的な番組です。)
パートナーを1人に絞り、精管切除手術も受けたいと発言した。
ミックとマレッドは、招かれて朝の別番組にも出演した。
ミックとその家族は2007年、ドキュメンタリー番組にも出演した。率直な言動で知られる現職の女性国会議員が一般市民に密着して
生活を共にし、生活様式を改めるようアドバイスし説得を試みるという番組だった。
ミックは仕事を3つ紹介されたが、そのどれにも真面目に取り合おうとはしなかった。
彼は夜は庭に駐車されたトレーラーで眠った。妻と愛人が代わりばんこに彼と寝た。
「ミックは自分以外の誰のことも気にかけず、妻のことも愛人のこともビッチと呼んだ。大勢いる子供たちの誰も、
彼に愛情を求めることはなかった」というのが、ミックとその家族を観察した女性議員の感想だった。
ミックとマレッドは2011年にドッギング(公共の場でのグループ・セックス)をし、マレッドは妊娠、ミックの指示で堕胎した。
2011年11月、ミックはロード・レイジ事件で別のドライバーを殴ったかどで有罪を認め、裁判を待つ身になった。
愛人のリサは2012年2月11日に、ミックとの間に生まれた5人の子供と連れ子(以前のパートナーとの間の子供)1人を連れて
水泳に行くふりをしてミックの家を出、そのまま戻ることなく姉夫婦の家で暮らすようになった。
3月10日、ミックがリサの姉の家にやって来た。リサと姉夫婦を相手に諍いとなったため、警察が呼ばれた。
2012年5月11日午前4時頃、ミックの家で火災が発生。
2階で眠っていた5人の子供(ジェイド10歳、ジョン9歳、ジャック7歳、ジェス6歳、ジェイデン5歳)が、遺体で発見された。
5人の異父兄のドゥエイン13歳(マレッドの連れ子)は、2日後に病院で死亡した。
全員が、煙を吸引したことにより命を失っていた。
ミックとマレッドによると、2人はサンルームに置かれたベッドで就寝中だった。
異常に気づいてキッチンを抜けて玄関へと向かったが、火の勢いが獰猛すぎて子供たちを助けることができなかった。
火炎と有毒ガスは階段を上っていったから、子供たちは逃げ場を失い、煙にまかれてしまったと思われる。
隣家と屋根を分かち合う『準一戸建て』だったフィルポッツ一家の家。
トレーラーが家の脇にぎちぎちに停められていたから、消火活動の大きな妨害になったことでしょう。
在りし日の子供たちとミック。最年長のドゥエインだけはマレッドの連れ子だったので、ミックと血の繋がりはない。
火災の当日は、ミックと養育権を争う元愛人リサの法廷審問が予定されていた。
リサと義兄のイアン・カズンズは殺人容疑で逮捕されたが、告発されることなく翌日釈放された。
火災から3日後の5月14日、警察は『(玄関ドアの)郵便受け口の内側でガソリンの痕跡が発見された』と発表。
火災は事故ではなく放火による殺人事件と認定された。
5月16日、ミックとマレッドは記者会見に臨んで火災前の状況を説明し、涙ながらに情報提供を呼びかけた。
(動画はコチラ: Mick Philpott and his wife give an emotional press conference)
複数の我が子を失ったばかりのミックが『奇妙な振る舞いを見せている』との情報が寄せられるようになった。
たとえば彼は、説得されて瀕死のドゥエインを病室に訪れたとき、看護師の胸の大きさに言及したり、
彼がその胸をどうしたいかについてジョークを飛ばした。
子供たちの遺体が安置されている霊安室を訪れたときも、スタッフに性的な内容の軽口を叩いた。
そうかと思うと次の瞬間には感情的になり、床に崩れ落ちた。
ミックはまた、メディアの注目を喜んでいるようにも見えた。
警察は、ホテル住まいをしていたミック夫婦の部屋を盗聴し、二人が放火を企てたこと、
友人のポール・モズリーも関与していたことの証拠を掴み、5月29日にミック夫婦を逮捕、30日に殺人罪で起訴した。
モズリーも6月20日に逮捕されたが、やがて保釈された。
葬式費用をカバーするための募金が立ち上げられ、11000ポンド(150万円)の寄付が集まった。
ミックは逮捕前、葬式費用を支払ったあとの寄付の残りは商品券として彼に渡すよう要求したという。
6月22日、6人の葬儀が執り行われた。拘留中だったミックとマレッドは参列を許可されなかった。
検査されていたミックとモズリーの服からガソリンが検出され、11月5日、モズリーは再逮捕された。
しかし三人は揃って、放火したことを否認。
そのためモズリーの関与の詳細は、今後も不明のままに終わる可能性が高い。
ミックによると、火災が起きた晩、三人は三つ巴の性行為に及んだ。モズリーは午前0時45分頃帰宅していった。
ミックとマレッドは裸のままサンルームのベッドで眠りについた。
火炎報知器のアラームが鳴り響いたため目が覚めた。
居間の方からオレンジ色の光が見え、真先に子供たちのことを考えた。
マレッドに999(緊急番号)を呼び出させ、ボクサー・ショーツとジョギング・ズボンを履くと、外へ飛び出して梯子を
2階の裏手にある寝室へと立て掛け、上っていって窓ガラスを割ろうと何度も試みた。
レンチを使ってようやく叩き割ったが、穴は自分の頭ほどの大きさしかなく寝室に入ることはできなかった。
(見栄っぱりで自慢が何よりも好きなミックによると、三人の性関係は、車中や避難先のホテルの部屋などを使って、火災後も続いた。)
ミックもマレッドもモズリーも当初は殺人罪で起訴されたが、子供たちを殺す意図はなかったと認定されたため、
罪状はのちに過失致死罪へと格下げされた。
放火の目的は、ミックが子供たちを窓から助け出すことで英雄になり、罪はリサになすりつけ、
リサとミックの間にできた子供たちの養育権を取り戻し、それによって受け取る福祉手当を元通りに増やし、
さらには焼失した家の代わりにより大きな家を獲得することだった――と推測される。
2013年4月2日、ミックとマレッドとモズリーは、6人の子供の過失致死で有罪となった。
ミックは最低禁固15年の終身刑、マレッドとモズリーはそれぞれ17年の禁固刑(=通常はその半分で出られる)を宣告された。
マレッドは「自分はミックにコントロールされていた」として刑の軽減を求め控訴したが、訴えは却下された。
* * *
ミック・フィルポットは2004年を最後にまったく働かず、福祉手当と、妻と愛人が掃除の仕事をして得たお金で生活していました。
なのに2人には家の鍵すら与えず、入ってくるお金はすべてを自分名義の口座に入れていたそうです。
愛人リサが意を決して出て行くまでは、11人の子供と同居していました。
その当時の彼等の世帯収入の内訳です。
(ちなみに児童手当は親の経済状況に関係なく一律に支払われる福祉手当で、我家もムスメが16歳になるまで、
月額80ポンドちょい(今日のレートで11,500円くらい)を受け取っていました。)
児童手当: 最初の子供に週£20.30(2822円)、二人目以降は週£13.40(1863円)。
年間の受給額は、£20.30 x 52 + £13.40 x 10 x 52 = £8023.60 (111万円)。
勤労者タックスクレジット: マレッド - 6人の子供により年間20,560ポンド(285万円)まで。
リサ - 5人の子供により年間17,870ポンド(248万円)まで。
マレッドとリサの推定年間収入: 14,000ポンド(194万円)
住宅手当: ミック - 週150ポンド(20,850円) x 52 = 年間7800ポンド(108万円)
推定年間世帯収入 - 68,000ポンド(945万円)
・・・ ・・・
私ら真面目な労働者の血税を、こんなクズ野郎に渡すなぁ~~~!!
4人の女性との間に15人の子供を量産したというミック・フィルポット。
別のソースによると、5人との間に17人とかも書かれていて、私もカウントを失いました。
我が子を愛するつもりなど毛頭なく、彼にとって子供は福祉手当を得るための手段でしかなかった様子。
世の中には素晴らしい親になるであろう人たちが不妊でなかなか子宝に恵まれず苦しんでいたりするのに、
こんなクズ野郎に限って次から次へと・・・
あ~腹が立つっ!
だいいち、殺人未遂を起こした男を、なぜに3年2ヶ月ぽっちで社会に戻すのか!!
理解不能です。
『嘘泣き』や『悲しんでいるフリ』を英語でクロコダイル・ティアーズと表現しますが、
ミックとマレッドの会見での様子は、まさにクロコダイル・ティアーズそのものでした。
やたらとハンカチを目に当てるものの、涙はまったく見えなくて。
放火の首謀者はミックであってマレッド単独だったら放火など考えなかったとは思いますが、
それでも、父親のみならず母親までもがあんなって・・・ あんな二人のもとに生まれた子供たちが気の毒すぎます・・・
子供には親を選べないのに・・・
なぜ今頃になってこの事件のことを書いたかというと、先週『マレッドが釈放された』とのニュースが入ったからです。
予測通り、宣告された刑期の半分で出てきました。
服役中にミックとは離婚した彼女。その後熱心な求愛者が現れ、“アツい”文通を続けてきたそうです。
(そういえば悪名高いチャールズ・マンソンも、求婚者が後を絶たなかったそうですね。
いつの世にも、おかしな人間たちはいるものだわ。)
6人の子供たちが、一番安全な場所であるはずの自宅で、実の親の手によって、成長するチャンスも、将来の夢も、
その命さえも、永遠に奪われたというのに・・・
不公平にもほどがある!!
亡くなった6人のご冥福をお祈りします・・・。