なかなかハドソン川から離れられない私ですが、最後に、本当に最後に、もうひとつだけ・・・・・
バードストライクにより絶体絶命の窮地に陥った1549便。
サリー機長は極度に限られた時間の中で必死に最善の策に思いを巡らせたわけですが、
彼と交信していた航空管制官も立派でした。
1549便を何とか無事に着陸させるべく、必死に打開策を考えてはサリー機長に提案し、各空港に緊急連絡を入れて。
航空管制官の名は、パトリック・ハーテン。事故当時は、35歳の誕生日を11日後に控えた34歳でした。
彼も2009年2月24日にアメリカ合衆国国会議事堂で開催された公聴会で、サリー機長とスカイルズ副操縦士に続いて証言しました。
(サリー機長との)交信が完全に途絶えました。業務を継続することができなくなり、私は可能な限り早く、任務から解放してもらいました。
あれは最低中の最低の感覚でした。(It was the lowest low I had ever felt.)
妻と話したかったのですが、話そうとすれば――それどころか彼女の声を聞いただけで――自分は壊れてしまう。
それで彼女に、あわただしいテキスト・メッセージを送りました。
事故に遭った。無事じゃない。今は話せない。(Had a crash. I'm not OK. Can't talk now.)
妙に聞こえるかもしれませんが、私にとって最も困難でトラウマになったのは、すべてが終わったあとでした。
緊急事態の真最中には、冷静さを保ちつつ極度に集中し、迅速に考え行動に移さなければなりません。
サリー機長と乗務員たちが不時着水を成功させたと知ったあとでも、悲劇のイメージを払拭することができませんでした。
無事だった乗客たちをテレビで見るたび、悲嘆にくれる家族が思い浮かびました。
1549便に搭乗していた155名全員の無事を知ったあとも、あの緊急時における自らの対応を反芻しつづけたハーテン。
公聴会のため国会議事堂に出向き、サリー機長に会い、彼の口から感謝の言葉を聞いて初めて、
自分の行動に誤りがなかったと確信し安心できたそうです。
We're unable. We may end up in the Hudson.
続いて74秒後の
We can't do it. We're gonna be in the Hudson.
というサリー機長の言葉を聞いたハーテン管制官は、
世界中で真先に、1549便がハドソン川に不時着を試みることを知った人間でした。
「私は近代航空史における最悪の事故のうちのひとつの一部になったと思いました。」
高速度で水面に触れた衝撃で翼をもがれ、横に転回しながら分解していく機体が脳裏に浮かびました。
たとえ無事に着水できたとしても、多くの人が溺れるか低体温症で亡くなるだろう。
「おそらく生存者は一握りしかいないだろうと思いました。」
ハーテン管制官は、映画“Sully”で自分を演じる俳優パッチ・ダラーの演技がよりリアルになるのを助けるため、
ダラーを職場に招き、自分の実際の仕事ぶりを見せ、同僚の仕事を解説してあげたそうです。
公聴会の証言にもちゃんと、奥様からのサポートに対する感謝を含めていて・・・ この人も立派な人格者だわぁ。
ハドソン川の奇跡に関わった人々は、誰もが立派で尊敬に値する人のようで、ほんと不思議。
そんなことも、ハドソン川の奇跡が人々(特に、シツコイ私)の心をとらえて放さない一因なのでしょうね