前回記事の続きです。
まだ進展があったわけではありませんが、ニュースで新たに知ったことがあるので書いておきたいと思います。
下はお店の前にテントが張られる前の、警察が到着したばかりらしいカフェ『ザ・クリーン・プレート』の画像です。(壁に掛かった時計がカワイイ)
そうそう、この道。新型コロナのワクチンを受けに行ったとき、通りました。あのときは飲食店はどこも休業していましたが。
上空から見るとこんな感じなんですね。
狭い裏庭にもテントが張られています。
今日になったら、大工だったフレッド・ウエストは「メアリーさんが『失踪する前』にこのカフェで改修工事を手がけた」
なんて報道されています。何せ半世紀以上前のことなので、情報が錯綜しているのでしょうか。
フレッド本人は自分の裁判が始まる前、1995年の元日に、首を吊って自殺してしまいました。
メアリーさん失踪に関しては、(自殺前に)「関与を一切否定した」という報道がある一方で、
「面会に来た息子に殺害を告白した」などという報道もあり、はっきりしません。
警察に捜索されているカフェと、『恐怖の館』があった場所と、メアリーさんが最後に目撃されたバス停の位置関係です。
メアリーさんの今は亡きご両親は1970年に、メアリーさんの失踪前の状況を次のように語ったそうです。
失踪当日メアリーさんは、午後6時半頃帰宅し、夕食後しばらくテレビを見ました。それから(ハードウィックに住む)ボーイフレンドに
会いに行くため、タフリー・アベニューの終わりにあるバス停を午後7時25分に出るバスをつかまえることにし、
袋に入れたモノポリー(ゲーム)を持って午後7時10分が15分過ぎに家を出ました。
下はネットニュースから拝借した画像です。メアリーさんが53年前にバスを待っていたというバス停。
グーグルのストリート・ビューだとこんな感じ です。
ブリストル・ロードは主要道路のひとつで、上の画像の進行方向の先に、メアリーさんが訪れようとしていたハードウィックがあります。
距離にして、せいぜい5kmといったところでしょうか。
グロスターは地方の小都市なので、ブリストル・ロードをたまたま車で通りかかったフレッド・ウエストがメアリーさんを見つけ、
「車で送ってあげよう」と申し出たことは十分有り得ます。メアリーさんにとってフレッドはカフェの常連客だったので顔見知り。
親切な申し出を断るのは申し訳ないと思って受け入れたとしても、不思議はないのでは?
さて、下のメアリーさんの画像は、失踪の前年(1967年)にお兄さんの結婚式でブライズメイドをつとめたときのものだそうですが、
ネックレスをつけていますよね?これも今日のニュースで知ったんですが、『恐怖の館』事件が1994年に発覚したあと、
メアリーさんの両親は警察に、クロムウェル街25番地から押収した証拠品の写真を見せられました。
その中にこの銀のロケット・ペンダントにそっくりな品の写真があったので、メアリーさんのこの写真を警察に見せてそう伝えました。
しかし警察は、「この写真からではペンダントが銀製かどうかはわからない」として、結局それきりになったそうです。
メアリーさんの兄ピーターさんは昨年亡くなり、未亡人となったピーターさんの奥さんデニーズさん(76歳)はこう語ります。
「メアリーに何が起きたのかを知りたいと、もうほんとうに長いこと待ち続けています。
この新たな展開によって結末がもたらされることを望みます。・・・」
メアリーさんの失踪から44年目だった2012年には、例のカフェにメアリーさんの遺体が隠されていないかどうかの捜索を
求める嘆願書が、メアリーさんを知っていた人々によってグロスターシャー警察に提出されたそうです。
でも警察は、「捜索を始めるだけの十分な新証拠がない」として却下しました。
今日のテレビニュースでメアリーさんの失踪を伝える当時のニュース映像が流されましたが、すべて白黒で、
時代の古さを感じさせられました。何せ53年前、昭和43年(!)ですからね。
フレッドとローズ・ウエストの連続殺人が発覚したのはその26年後の1994年でしたから、
当時の警察がフレッド・ウエストに疑惑の目を向けなかったのは、無理もなかったかもしれません。
でも二人の鬼畜ぶりが明らかになってからなら、例のカフェをしっかり捜索してもよかったのでは?
フレッドがメアリーさんが働いていたカフェで大工仕事をしたことは、その頃だって、わかっていたでしょうに?
これでカフェから遺体が発見されたら、グロスターシャー警察の面目は丸つぶれですね。
遺体が発見されず空振りに終わっても、フレッドがメアリーさんの失踪に関して潔白だったことにはなりません。
メアリーさんの遺体を、カフェではなく田舎の畑にでも埋めたのかもしれませんから。
その場合はメアリーさんの親類や友人たちには、メアリーさんの失踪は謎のままという苦悩が続くことになります。
メアリーさんの友達だったという高齢女性はニュースで言っていました。
「最初は家出の可能性も考えられたようだけど、メアリーには家出する理由などありませんでした。メアリーのお母さんは私に、
『メアリーがいつ帰ってきてもいいように、玄関ホールの電気は毎晩点けっぱなしにしている』と言っていました。
本当にそうなっているのを見たときは、切なくて胸が苦しくなりました。・・・」
愛する誰かが失踪し行方不明というのは、ある意味殺人事件の被害者として発見されるよりも、辛いものかもしれません。
死亡している可能性が高くても、きちんと葬ってあげることすらできないのですから。
親にとって、我が子が行方不明のままこの世を去らなければならないことほど辛いことって、ないのでは・・・?
4歳の誕生日の9日前だったマデリン・マッカーンちゃんが休暇先のポルトガルで行方不明になってから、
今月3日で早くも14年目となりました。あれも不可解な事件で、未解決のままです。
もしどこかで生きていれば、今日が18歳の誕生日ということになるんですが・・・。
マデリンちゃんはどこに消えたのか? 失踪事件の捜査経過と犯人とは - AllAbout
メアリーさんの件もマデリンちゃんの件も、どうかどうか一日も早く、解明されますように・・・!