《 前編からのつづき 》
ジョーシィちゃんは、脈があるとはいえ、瀕死の重傷を負っていました。
損壊された頭蓋骨の代わりに、58平方センチメートルの金属板が挿入されました。
いつ医者に「生命維持装置をオフにしましょう」と促されるかを危惧しながら、ジョーシィちゃんに付き添うショーンさん。
ジョーシィちゃんの脳損傷が身体的・精神的・知的機能にどこまで影響しているか不明でしたし、
いつ終わるとも知れぬ植物人間状態が続く可能性すらありました。
捜索により、犯行現場やその付近から証拠品が見つかりました。
三人の両手を縛るのに使われたらしい引き裂かれたタオルが入った袋(下左)や、ブーツの紐(下右)などです。
被害者の血痕は、ヌーケット・ウッドの木立の中だけでなくチェリーガーデン・レーンでも発見されました。
犯行現場に落ちていたランチ袋に入っていたランチボックスの蓋には、血に濡れた指紋が半分だけ残っていました。
ある若い女性ドライバーは、推定犯行時刻の直後と思われる午後4時45分頃、怪しい車に出くわしたことを警察に報告しました。
犯行現場近くの脇道からベージュ色の車が一時停止もせず飛び出してきたため、あわてて減速しなければならなかったそうです。
運転していた男はナーバスで、バックミラーやサイドミラーを何度もちらちら見ていたので、女性の印象に残りました。
警察は彼女の証言をもとに似顔絵を作成し、公開しました。
午後4時55分頃には、一人のドライバーが、バール(Crowbar)状のものを手にした男が道路脇の畑地に立っているのを目撃していました。
午後5時10分頃には、道路脇の藪のそばにいる男が近くの住民によって目撃されました。目撃者はその30分ほどあとに犬を散歩させながら
その藪の脇を通りかかったので好奇心から覗いてみたところ、引き裂かれたタオルが入った袋(前述)を発見したそうです。
警察は一般市民に情報提供を呼びかけましたが、犯人につながるような情報は入りませんでした。
いっぽうジョーシィちゃん(9歳)は、医者も驚くほどの奇跡的な回復を続けました。
脳損傷のため会話も歩行もままなりませんでしたが、事件の6週間後には退院を許され、自宅に戻って
身体のリハビリやスピーチ・セラピーを続けました。
ジョーシィちゃんに事件当時の記憶が残っていたか? ――驚いたことに、残っていました。
事件から半年ほどあと、まだ会話が不自由だったジョーシィちゃんのため、小さな人形を使って当時の状況が訊かれました。
ジョーシィちゃんは、覚えていることをしっかり伝えました。
事件のあった午後。母娘三人と愛犬は、未舗装の田舎道チェリーガーデン・レーンに入りました。
そのとき一台の車が三人を追い越して行き、ジョーシィちゃんは何気なくドライバーに手を振ったそうです。
しばらく歩くと先ほどの車が前方に停車していて、三人が通りすぎたあと、
ハンマーを持った男が車から降りて三人の方へ歩いてきました。
男は母親のリンさんに、「金を出せ」と要求。お財布を身につけていなかったリンさんは、
「家に戻ればお金が渡せる」と提案しますが、男は拒否。
この時点でリンさんは、危険を察知したのでしょう、ジョーシィちゃんに、走って助けを求めるよう言いました。
しかしジョーシィちゃんは男に捕まりハンマーで殴られ、リンさんもまた殴られました。
チェリーガーデン・レーンにも血痕が残っていたのは、そのためでした。
それから男は三人に木立に入るよう命じ、母娘が持っていたバッグの中身を探り、三人を引き裂いたタオルやブーツの紐を使って
後ろ手に縛ったあと、ハンマーでめった打ちにしたそうです。(三人は木に縛りつけられた/目隠しもされた、という情報源も。)
(下は Murder Files : The Murder of Russell Family の状況再現シーンからの画像です。)
容疑者が浮かばないまま月日が過ぎ、警察は事件の一周年を機に、視聴者に情報提供を訴えるBBCの人気番組
『クライムウォッチ(Crimewatch)』で事件を取り上げてもらいました。
ある精神科医から寄せられた情報により、マイケル・ストーンが容疑者として浮上しました。
1997年7月にストーンは逮捕され(事件翌年のこの時点で37歳)、殺人罪で起訴されました。
1960年生まれのストーンはDV家庭で育ち、養護施設に入所したもののそこでも虐待され、12歳のときから不法行為に手を染めるように。
養護施設を離れてからはヘロインにも手を出し、空巣・強盗・重度の傷害罪などで三度刑務所に送られました。
ラッセル母娘殺傷事件前にはヘロイン中毒を克服するため精神科医や保護監察官のサポートを受けていましたが、
事件の5日前の7月4日には、保護監察官に対し「お前と家族を皆殺しにしてやる」と脅迫的な暴言を吐いていました。
事件の遺留品からは、指紋やDNAなどといったストーンの犯行を確定的にする物的証拠は一切出ませんでした。
ストーンは容疑を否認し無罪を主張しましたが、「ストーンが(ラッセル母娘殺傷を)告白した」と別の囚人デミアン・デイリーが証言したため有罪に。
ストーンは控訴しましたが、2001年にも、二度目の有罪判決を受けました。
2006年12月には高裁判事が、「ストーンは仮釈放を申請する前に、最低でも25年間は収監されるべし」と決定しました。
よってストーンが仮釈放を申請できるのは、早くてもストーンが63歳になる2023年ということになります。
ジョーシィちゃんの退院後、静かな環境でジョーシィちゃんの回復に集中しながら家族を失った悲しみを癒すため、
ショーンさんとジョーシィちゃんは、事件の前年まで住んでいた風光明媚な北ウェールズに戻りました。
ジョーシィちゃんがふたたび話せるようになったのは、事件後一年経ってからのことだったそうです。
大学に進学しグラフィック・デザインの学位を取得したジョーシィさんは、アーティストとしてビジネスを確立(ウェブサイトはコチラ)。
恋人のイワンさんとは、大学に入って間もなく知り合いました。
母親のリンさんが家族として迎えたウェールズ産の小型馬ロージー(Rosie)とは、2017年の時点でも一緒。
ロージーと初めて会ったのは、ジョーシィさんが5歳のときだったそうです。
(ジョーシィさんより4歳若いというロージーは、存命なら今年30歳ということになります。元気でいてくれますように。)
その後、犯罪被害者給付金と父親ショーンさんからの援助で幼少期に暮らした北ウェールズの家を購入。
事件から22年後の2018年9月にはテレビ番組に出演し、イワンさんと婚約したことを公表してくれました。
何ともまぁ、怖ろしい事件・・・!
私も似たような田舎道を散歩するので、他人事とは思えません。
ハンマーで殴られ、木立に入るよう強要された母娘三人、とりわけリンさんが感じたであろう絶望を思うと・・・
わずか9歳の幼い身で、社会に潜在する最悪の『悪』に遭遇したジョーシィさん。
悲嘆に耐え、困難を克服し、ポジティブに人生を歩んでいます。
空の上のリンさんとメーガンちゃんは、ショーンさんとジョーシィさんのことを誇りに思っているでしょうね。
ショーンさんとジョーシィさんの未来に幸あれ!